佐藤一斎 「言志耋禄」その六 

佐藤一斎 塾規三則

「入学説」 重職心得箇条
 (まん)げん)
佐藤一斎「言志耋録(てつろく)」はしがき

.礼記(らいき)にある人生区分

平成26年1月

元旦

142.
志躁は利刃の如し

志躁(しそう)()(じん)の如く、以て物を貫く()し。()えて迎合して人の鼻息(びそく)を窺わず。古人云う、「鉄剣利なれば、則ち(しょう)優拙(ゆうつたな)し」と。蓋し此れを謂うなり。 

岫雲斎
堅固なる意思は鋭利な刃物で何ものも貫くことが可能。だから、世間に調子を合わせたり、人の鼻息を伺うようなことをしない。古人謂う「鉄の剣がよく切れるならば(鉄の意志)、俳優連中がどんなに巧みな技を以て惑わそうとしても決して惑わされぬ」と。これはこの事を言ったものである。 

2日 143.
富貴と貧賤二則 
その一

物に余り有る、之れを富と謂う。富を欲するの心は即ち貧なり。物の足らざる、之れを貧と謂う。貧に安んずるの心は即ち富なり。富貴は心に在りて、物に在らず。 

岫雲斎
物に余分があるのを富と言う。この富を欲しがる心が貧である。物の足らないのを貧という。物不足の貧に安んじている心は富んでいる。このように考えると富と貧は心に在り、物にあるのではないと理解できる。

3日

144.
富貴と貧賤二則
その二

身労(しんろう)して心逸(こころいっ)する者は、貧賤なり。心苦んで身楽む者は、富貴なり。天より之れを視れば、(ふたつ)ながら得失無し。 

岫雲斎
身体が苦労して精神を伸びやかにしている人を貧しい人という。これと反対に、精神的に苦しみ、身体で楽をしている人を富貴人という。これらを高い天から見れば、どちらが得で、どちらが損ということはない。 

4日 145.
人は己れを頼むべし
凡そ人は頼む所有りて、而る後大業(だいぎょう)(はか)()きなり。我れ守る所有りて、而る後外議(がいぎ)起らざるなり。()し其れ妄作(もうさく)()()は罪を招く所以(ゆえん)なり。 

岫雲斎
人は誰でも自分に頼む所があってから大事業を計画すべきである。また自分に確りと守る所があるからこそ、外からの(そし)りも起らない。(みだ)りに小細工したり自分勝手な智慧を振り回す事は禍を招くもととなる。

5日 146.
舟に舵なければ
舟に舵無ければ、則ち(せん)(かい)(わた)()からず。門に()(やく)有れば、則ち盗賊も?(うかが)う能わず。 

岫雲斎
舟に舵と艪がなければ、川や海は渉れない。(智慧がなければ世の荒海は渡れない事)また、門に錠と鍵がなければ盗賊も入れない。(堅固な意思があれば世間の誘惑も入込めぬ事。)

6日 147.
事、予すれば立つ
「凡そ事予すれば則ち立ち、予せざれば則ち廃す」とは正語なり。之れを()(こく)に用う可し。「水到りて(みぞ)成り()熟して(へた)落つ」とは悟語(ごご)なり。之れを一身に用う可し。 

岫雲斎
中庸・二十章「何事も事前に準備すれば必ずその事は成就する。之に反して事前準備なければ必ず失敗する」とある。これは道理に適った言葉。この言葉を家庭や国家にも適用するがよい。「水が流れて自然に溝が出来、果物が熟して(へた)が自然に落ちる」とは道を悟った言葉である。我が身にも適用しなくてはならぬ。

7日 148.
予の意味
(やまい)を病無き時に慎めば則ち病無し。(うれい)を患無き日に(おもんばか)れば則ち患無し。是れを之れ予と謂う。事に先だつの予は、即ち予楽の予にて、一なり。 

岫雲斎
病気にならないように病気になる前から用心すれば病気にかからぬ。同様に心配事も無いように事前に考えておけば起らない。事前に準備しておく事を「予」という。事に先立って用意するの予は、楽しむ意味の予楽と同じである。

8日 149.
満を持す工夫を忘るな
凡そ、物満つれば則ち(くつがえ)るは天道なり。
満を持するの工夫を忘るること勿れ。
満を持すとは、其の分を守るを謂い、分を守るとは、身の出処と己れの才徳とを()すなり。
 

岫雲斎
何事も一杯になると覆るというのは天地自然の掟である。どうすれば、満を持ち堪えられるかと言う工夫を忘れてはならぬ。満を持ち堪える事は、自分自身の本分を守って行くことであり、本分を守ると言う事は、身の振り方と自分の才能・徳性を勘案して(ぶん)を超えないようにする事である。

9日 150.
安と懼に公私あり
(あん)の字に公私有り。
公なれば則ち思慮出で、()なれば則ち怠惰生ず。
()の字にも亦公私有り。
公なれば則ち戦兢(せんきょう)して自ら戒め、私なれば則ち惴慄(ずいりつ)して己れを(うしな)う。
 

岫雲斎
安んじるにも公私がある。安が公につけば公安、公を安んじ、社会を安定させる意味で、その為に色々の思案が出て来る。安が私につくと、自分だけ安んじて行くことでありそこに怠惰が生ずる。恐れるの()の字にも公と私がある。懼が公につくと公の為に恐れるのだから時には戦々恐々として恐れ慎んで気をつける。懼に私がつくと、恐れ慄いて狼狽し己を失う。

10日 151.
欲にも公私あり
「心を養うは寡欲より善きは()し」。君子自ら養う者宜しく()くの如くすべきなり。
人を待つに至りては則ち然らず。
人をして各々其の欲を達せしむるのみ。但だ欲も亦公私有り。弁ずべし。
 

岫雲斎
孟子・尽心下篇「精神修養してゆくには、欲を少なくすることよりよい方法は無い」とある。立派な人物が自ら修養するにはこれが良い。然し、他人に対応するのには、これではいけない。そうでなくて、各々その人をしてその欲望を達せしめてやるようにしなくてはならぬ。この様に、欲にも公と私があり、世のため人の為の公の欲は大きい程良い、自分の欲は小さい程よいのである。これは(わきま)えておくがよい。

11日 152.
禍福栄辱(かふくえいじょく)
三則

その一

(とが)を免るるの道は、(けん)(じょう)とに在り。福を(もと)むるの道は、()()とに在り。 

岫雲斎
過失を免れる方法は、よく謙虚にしてよく譲歩することであろう。(万事、控え目に)幸せを得る方法は、人に恵むこと、施しをする事であろう。 

12日 153
禍福栄辱(かふくえいじょく)三則 
その二

常人(じょうじん)栄辱(えいじょく)有り。達人の栄辱有り。常人の栄辱は、達人未だ()って以て栄辱と為さず。達人の栄辱は、常人其の栄辱たるを知らず。 

岫雲斎
普通の人にも名誉と栄辱がある。道理に通達した人の名誉と栄辱もある。普通の人の栄辱は、道理の通達した人の栄辱とは異なる。達人の栄辱は常人には分らないのである。(外面的、物質的と、内面的、精神的との相違。)

13日 154.
禍福栄辱(かふくえいじょく)三則
その三
必ずしも福を(もと)めず。()無きを以て福と為す。必ずしも(えい)(ねが)わず。(じょく)無きを以て栄と為す。必ずしも寿(し゜ゅ)を祈らず。(よう)せざるを以て寿と為す。必ずしも富を求めず。()えざるを以て富と為す。 

岫雲斎
殊更に幸福を求める必要はない、禍さえ無ければ幸福である。また必ずしも栄誉を(ねが)う必要はない、恥をかかなければそれが栄誉である。長生きを祈らなくてもよい、若死にさえしなければよいのだ。必ずしも金持ちにならなくてよい、餓えさえしなければ富んでいることではないか。 

14日 155.
草木と人事
草木は()と山野の物なり。山野に在れば則ち其の所を得て、人の灌漑(かんがい)(わずらわ)さず。(たまたま)()()()(そう)有りて、其の(かん)に生ずれば、則ち()(しょう)抜き取りて以て盆翫(ぼんがん)し為し、之れを王侯に(すす)む。()だ花匠に於ては(さいわい)たれども、(しか)花卉(かき)は則ち不幸たり。人事も亦或は此れに類す。  

岫雲斎
草木はもとより山野のものである。
山野にあればその所を得て人間から水をかけてもらわなくてよい。
偶々、珍しい花や不思議な草が生えると、植木屋がそれを抜き取って盆栽として身分の高い人に進上する。こうする事は植木屋にとり幸いなことかも知れぬが草花にとっては不幸なことである。
我々、人間の世の中でもこれに類することがある。

15日 156.         
世に惜しむべき者

世に惜しむ可き者有り。()(ぎょく)大宝(たいほう)の、瓦礫(がれき)(こん)ずるは惜む可し。希世(きせい)の名剣の、賎人(せんじん)之れを()ぶるは惜しむ可し。非常の人材の()てて用いられざるは尤も惜しむ可し。 

岫雲斎
世の中に惜しむべきものがある。亀の甲や玉石など貴重な宝が瓦や小石に混じっているのは惜しい。また、世にも稀な名剣を賎しい人が佩用(はいよう)しているのは惜しい。勝れた人物が捨てられて世に用いられていないのは最も惜しい。

16日 157.         
天定って人に勝つ

罪無くして(とが)を得る者は、非常の人なり。身は一時に屈して、名は後世に()ぶ。罪有りて愆を免るる者は、奸佞(かんねい)の人なり。志を一時に得て、名は後世に(はずかし)められる。古に謂う、「天定まりて人に勝つ」と。是れなり。 

岫雲斎
罪がないのに罰せられる者は大人物である。かかる人はある一時期は屈服するが、その名は後世まで褒め称えられる。罪があるのに罰せられない者は、(よこし)まで悪賢い人物である。こんな人間は、小沢一郎の如きで一時の目的を達しても、その名は後世まで辱められる。昔の言葉だが「天理が定って、到底人力の及ぶ所ではない」とはこれを言うのである。

17日 158.         
訓戒五則 
その一

老成人(ろうせいじん)を侮ること勿れ、孤有幼(こゆうよう)を弱しとすること勿れ」とは、真に是れ(ばん)(こう)明戒(めいかい)なり。今の才人往々此の訓を侵す。(いまし)()きなり。 

岫雲斎
「世の中の経験を積んだ老人を馬鹿にしてはならぬ。また孤児や幼児を弱いからとて軽視してはならぬ」とは書経の磐庚篇にあり、磐庚王が殷に遷都する時の言葉であり明快な戒めである。現代の才人は、この訓戒を侵している、警告を発したい。

18日 159
訓戒五則 
その二
少壮の書生と語る時、(しきり)に警戒を加うれば則ち聴く者(いと)う。但だ平常の話中(わちゅう)に就きて、偶々(たまたま)警戒を(ぐう)すれば、則ち彼れに於て益有り。我れも亦煩涜(はんとく)に至らじ。 

岫雲斎
若い学生達と話をする時、頻りに注意や訓戒を加えると聴く者は嫌がる。平常の会話の中に時々警戒らしくなく、かこつけて訓戒を入れると、彼ら聴く者も益するものがあろう。また話している自分も手数がかからなくて煩瑣とならない。

19日 160.
訓戒五則 
その三
人を訓戒する時、簡明なるを要し、(せつ)(とう)なるを要す。疾言(しつげん)すること勿れ。詈辱(りじょく)すること勿れ。 

岫雲斎
人を教え戒める時の言葉は簡単明瞭、適切でなくてはならぬ。早口とか、(ののし)り、(はずかし)めてはいけない。 

20日 161.
訓戒五則 
その四
女子を(おし)うるは、宜しく(じょ)にして厳なるべし。小人を訓うるは、宜しく厳にして恕なるべし。 

岫雲斎
婦女子への訓戒は、まず恕、即ち思いやりの言葉を先にかけるが良い。そして次に厳格な言葉で結ぶのが宜しい。小人への訓戒は、先ず厳格な言葉でピリッとさせ、思いやりの言葉で結ぶが宜しい。

21日 162.
訓戒五則 
その五
小児(しょうじ)(おし)うるには、()(こう)を要せず。只だ(すべか)らく欺く勿れの二字を以てすべし。()れを緊要(きんよう)と為す。 

岫雲斎
子供の訓戒は、苦言を言う必要はない。
ただ、嘘をつくな、正直にせよ、この二つだけで良い。これが最も大切である。

22日 163.
小児の導き方
小児は()びて(けい)()()せば則ち喜び、黠児(きつじ)と做せば則ち(いか)る。其の善を善とし悪を悪とすること、天性に根ざす者然るなり。 

岫雲斎
子供にお前は利巧な子供だと言えば喜ぶ、悪賢いと言えば怒る。子供は天真爛漫(てんしんらんまん)で、あくまで善を善とし、悪を悪とする事は(わきま)えているものだ。この事は子供の天性に根ざしている、この点を捉えて子供を善導するのが良い。

23日

164.
夫婦の道

少年の夫婦は、情、兄弟(けいてい)の如し。老年の夫婦は、(まじわり)、朋友の如し。但だ其の諧和(かいわ)するに至りては、則ち或は過昵(かじつ)免れず。故に()れを男女の異性に(もと)づきて、以て其の別を言うのみ。 

岫雲斎
年若い夫婦の情は兄弟のようである。また老人夫婦はその交わりは友人のようである。それはそれで良いのだが、その仲のよさが、或は、狎れ過ぎる嫌いを免れない。男女が異性であるという事実に基づいて古人は「夫婦別あり」と言った。これは余り馴れすぎないよう、互いの間に礼儀を(わきま)えなさいという教えである。

24日

165
()れず、溺れず

火は親しむ可くして()る可からず。水は愛す可くして溺る可からず。妻妾を待つには宜しく是くの如き(かん)()くべし。 

岫雲斎
火は親しむのは良いが狎れては禍を起こす。水は愛するのは良いが溺れないようにせよ。妻妾に対応するにはこのような観点を身につけることだ。つまり、親しさに馴れると増長し、愛に溺れると父母・兄弟を忘れてしまう恐れがある、戒めなくてはならぬ事である。 

25日 166.
事理を了解させる方法
事理を説くは、()と人をして了解せしめんと欲すればなり。故に我れは宜しく先ず之れを略説し、()れをして思うて之れを得しむべし。然らずして、我れ之れを詳悉(しょうしつ)するに過ぎなば、則ち()れ思を致さず。(かえ)っ深意を得ざらん。 

岫雲斎
物事の道理を説明するのは、人にその道理を了解させる為である。だから、先ずその大意を説明し、相手が自分で考え巡らし会得させるようにするがよい。さもなくて手前が余り説明をしすぎると相手が十分考えもしないことになり、これでは却ってその深い含蓄を会得できないことになろう。

26日 167.
小人と君子
親しみ易き者は小人(しょうじん)にして、()れ難き者は君子なり。
仕え難き者は小人にして、(つか)え易き者は君子なり。
 

岫雲斎
親しみ易いのは市井の庶民、馴れ馴れしくでき難いのは立派な人物である。然し、主人として仕え難いのは方針の無い市井人であり、きちっとした方針を持ち仕え易いのは立派な人物である。(論語・子路篇「君子は(つか)え易くして(よろこ)ばしめ難し。これを説ばしむるに、道を以てせざれば説ばざればなり。その人を使うに及んでや之を器にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。)

27日 168
事は本末にあり
事には本末あり。()とより(すで)に分明なり。但だ(もと)に似たる末有り。末に似たる(もと)有り。察を致さざる可からず。 

岫雲斎
全ての物事には本と末がある事は明白。然し、本に似た末があったり、末に似た本があったりもする。そこを良く見極める事が肝要。

28日

169
()
(おん)は忘れよ、(じゅ)(けい)は忘る

我れ恩を人に施しては、忘する()し。我れ恵を人に受けては、忘る可からず。

岫雲斎
自分が施した恩は忘れなさい。だが、自分が受けた恩を忘れてはならぬ。 

29日 170.
人と交わるには厚と信
親戚を親しまざる者は、他人に於ても亦()(はく)なり。往事(おうじ)を追わざる者は、当努(とうむ)に於ても亦(こう)(しよ)なり。凡そ(こう)(どう)(こう)()(しん)の字を忘ること勿れ。 

岫雲斎
身内の者に親しまない者は他人に対してもまた薄情である。
過去の事を思い返さない人間は当面の任務もいい加減にするものだ。
全て、人に交わる道とは、厚と信、即ち情に厚くして誠を尽くす事である。
これを忘れてはならぬ。

30日 171.
昔を忘れるな
人は当に往事を忘れざるべし。是れを(こう)(とく)と為す。 

岫雲斎
人間は決して旧友や他人から受けた恩恵など、過去を忘れてはいけない。これが情に厚い立派な徳行である。

31日 172.
旧恩の人と新知の人
旧恩の人は、疎遠す可からず。新知の人は、過狎(かこう)す可からず。

岫雲斎
現在の自分の地位境遇がどうあろうとも、以前に受けた恩恵を疎んじたり遠ざけたりしてはいけない。また、新しく知り合った人は、余り馴れ馴れしいのはよくない。