佐藤一斎 「言志耋禄」その九 

佐藤一斎 塾規三則

「入学説」 重職心得箇条
 (まん)げん)
佐藤一斎「言志耋録(てつろく)」はしがき

.礼記(らいき)にある人生区分

平成26年4月

1日 232.
数ある数と数なき数
数有るの数は(せき)なり。数無き数は理なり。邵子(しょうし)は則ち数有るの数を以て、数無きの数を説く。(こう)(きょく)経世(けいせい)、恐らくは未だ拘泥(こうでい)を免れざらん。 

岫雲斎
形状があって見聞し得るものは(せき)である。形が無くて見聞し得ないものは理である。宋代初めの大儒・邵康節は、その(せき)を以てその理を説いたから、彼の「(こう)(きょく)経世(けいせい)書」は幾らか事象に拘泥した点が見られる。

2日 233.
天は測るべし、人は測る可からず
天は測る()からずして、而も或は測る()し。人は測る()くして、而も或は測る()からず。 

岫雲斎
天地自然のなす所のものは推し測る事は出来ないようであるが時には予測できる事もある。(天には必然の理あり)。だが、人間のなすことは大抵予測できるようであるが、時に予測不能なことがある。
   (人間の自由意志)

3日 234.
形而下の数理と形而上の道理
西洋の窮理は、形而下(けいじか)の数理なり。周易の窮理は、形而上(けいじじょう)の道理なり。道理は、(たと)えば則ち根株(こんしゅ)なり。数理は、譬えば則ち枝葉(しよう)なり。枝葉は根株より生ず。能く其の根株を得れば、則ち枝葉之れに従う。窮理者は宜しく(えき)()よりして入るべきなり。 

岫雲斎
西洋の窮理、即ち自然科学は、有形現象の法則を研究するものである。
易経の窮理は、無形の、思推(しすい)の道理の学問である。
易の道理は、根や株の如きものである。西洋の科学は枝葉のようなものである。枝葉は根株より生ずる。
従って、根株を会得すれば枝葉はこれに従って会得できる。だから、理を窮めんとする者は「易」の理法より入るがよい。

4日 235.
騎兵戦 三則 
その一

吾が国、古代に於て()(せん)有り。後に及んで甲越並に兵に(くわ)し。(ここ)に於て軍伍(ぐんご)各々成法有り。戦に臨み卸騎(しゃき)歩戦(ほせん)す。但だ乱軍、敵を追うに騎を用うるのみ。然れども変に応じて戦闘し、一定無ければ、則ち騎戦も亦講ぜざる容からず。 

岫雲斎

現代的に意味なく省略。

5日 236騎兵戦三則 
その二

騎戦はもつぱら馬足の蹂躙に在り。故に宜しく数十騎を連ねて縦横馳突(ちとつ)すべし。則ち唯だ其の時の宜しきのみ。 

岫雲斎

現代的に意味なく省略。

6日 237
騎兵戦 三則 
その三
「騎戦の時、槍を(ふる)い刀を(めぐ)らすには、宜しく力、後足(あとあし)に在るべし。槍は突かんと欲し、刀は撃たんと欲して、力、前足に在らば、則ち必ず顛墜(てんつい)を致さん。(いまし)()し」と。 

岫雲斎

現代的に意味なく省略。

7日 238.
武術者は儒にも求めよ
世の武技を為す者、妙処必ず之れを禅裡(ぜんり)に帰して、而も之れを吾が儒に求めることを知らず。(こころみ)に思え、郷党の一篇、聖人の俯仰(ふぎょう)進退、一動一(せい)、節に(あた)らざる()きを。即ち是れ天来絶妙の(ところ)文武(ぶんぶ)真に()()無し。 

岫雲斎
世の武芸者は、武道の妙処を禅の悟りに帰着せしめていて、それを我が儒教に求めることを知らない。
試しに考えてみるがよい、論語の郷党の一篇、聖人孔子の立ち居振る舞い、一挙一動は何れも皆、「かた」にはまらないものはない。
これは天から受けた絶妙の点であって、文の道即ち儒学と武の道とは異なったものではないのである。

8日

239           本物は

(しん)(ゆう)(きょ)の如く、真智は愚の如く、真才は鈍の如く、(しん)(こう)(せつ)の如し。 

岫雲斎
真の勇気ある者は慎み深いから臆病者のようだし、本当に智慧のある者は、よく考えるから愚者のようだ。真の才人は、容易にその才を示さないから鈍物のようだし、本当に巧みな人は素人にはその巧みさが分らないから恰も下手なように見える。

9日 240.
儒者は英気を養うべし
今の儒者は、徒らに書蠧(しょと)となりて、気力振わず。宜しく時に武技を試みて、以て英気を養うべし。文学に於ても亦益有り。余は齢(すで)(てつ)なり。今は則ち()みぬ。但だ人をして之れを肄習(いしゅう)せしめんのみ。 

岫雲斎
現代の儒者は書物の「しみ」で書庫にかじついておるばかりでさっぱり元気がない。時には武術を練習し大いに英気を養うべきである。そうする事は文学上にも益がある。私は加齢してもう80歳になったから今はもうやらない。ただ他人をして習わせようとしているだけである。

10日 241.
文士武事を忘れるな
歴代の帝王、唐、()を除く外、真の禅譲無し。商、周以下、漢より今に至るまで、凡そ二十二史、皆武を以て国を開き、文を以て之れを治む。()って知る、武は猶お質の如く、文は則ち其の毛採(もうさい)にして、()(ひょう)(けん)(よう)に分るる所以なることを。今の文士、其れ武事を忘る可けんや。 

岫雲斎
中国歴代の帝王で、(ぎょう)帝と(しゅん)帝以外は真に在位中に位を譲った者はいない。商や周から秦・漢を経て今日まで、凡そ22の王朝はみな武力を以て国を開き、文を以てこれを治めている。かかる事実から、武士は身体のようなもので、文はその毛の色どりであり、この二つから虎とか豹とかが分かれるようなわけである事を知る。今の文学を勉める者は武事をも忘れてはならぬ。

11日 242.
易理と人事三則その一

白賁(はくひ)は、是れ礼文(れいぶん)極処(きょくしょ)にして、噬?(ぜいごう)は、是れ刑政の要処なり。(まつりごと)に従う者、宜しく其の辞を(もてあそ)び以て其の()を得べし。可なり。 

岫雲斎
易経の教えによると、白賁(はくひ)とは白色の飾りの義で「質素を尚ぶは飾りなきにあらざるなり。華をして実を失わしめざるなり」とある。質実にして文飾を失わざる(かたち)で、これは礼儀文飾の最善である。また噬?(ぜいごう)とは物を噛み砕くの義で「噬?(ぜいごう)(とお)る。獄を用うるに利す」とあり刑事断獄の肝要な所である。政治を行う者は、この二つの言葉を熟読玩味してその本旨を会得するべきである。

12日 243.
易理と人事三則その二

凡そ物に軽重有り。虚実有り。以て変化を成す。皆、()未済(びせい)(しょう)なり。聖人既に此の象を立てて以て人に示して、而も人未だ其の?(みょう)()らず。(すべか)らく善く翫索(がんさく)して之れを得べし。 

岫雲斎
全て物には軽重があり、虚実があり色々に変化する。これはみな易経の「()即ち(ことごと)く成ると「未済(びせい)」即ち事未だ成らずという卦の現象である。聖人が既にこの変化の現象を示したが人々はその変化の妙を知らずにいる。これも又よくよく玩味して会得しなくてはならぬ。

13日 244.
易理と人事三則その三
天、地に資して、万物(ゆたか)に、(みず)、火に資して(てん)功済(こうな)る。人倫五(きょう)、皆此の理を具して、()(こく)治まる。(すべか)らく善く省察(せいさつ)して自得すべし。 

岫雲斎
易の理による考察であるが、天が地と助け合って万物が安らかに生まれる。水と火が助け合い天の作用が成就する。人間の道である五倫の教えは、みなこの理を具えているのだから、この理により始めて家庭も国家も治ってゆくのである。我々はよくよく反省してこの道理を会得しておくがよい。 

14日 245.
水火の訓三則 その一
水火は霊物なり。(たみ)、水火に非ざれば、則ち生活せず。水火又能く人を焚溺(ふんでき)す。天地生殺の権、全く水火に在り。 

岫雲斎
水と火は霊妙不思議なものだ。もし水と火が無ければ人々は生活不能だ。また水と火は人を溺死させたり焼き殺したりもする。天地間の生殺与奪の権力は全く水と火にある。

15日 246.
水火の訓三則 その二
天地の用は、水火より大なるは()し。天地は体なり。満世界は皆水火なり。故に敬す()き者、水火に()くは()く、(おそ)る可き者も、亦水火に()くは()し。 

岫雲斎
天地の作用の中で、水と火より大きいものはない。天地は本体である。現象世界の全ては水と火の働きによっている。だから敬すべきものも、恐るべきものも水と火に及ぶものはない。

16日 247.
水火の訓三則 その三
水火は、是れ天地の大用(たいよう)なり。物に()りて形を成し、定体(ていたい)有ること無し。近ごろ西洋(いだ)す所の()(こう)小大(しょうだい)の器物を観るに、蓋し皆水火の理を尽くし、以て之れを製せり。大砲汽船の如きも、亦水火の理に外ならざるなり。 

岫雲斎
水と火は天地間で大きな作用をするものである。水も火も物により形をなすもので定まった形というものはない。近年も西洋の作りだす大小の奇妙且つ巧みな器械類を観ると、みなこの水と火の道理を駆使して製造したものである。大砲、汽船、みな水と火の道理を利用したものである。

17日 248
舶来品に対する感想
凡そ物は、()(こう)賞す可き者有り。雅素(がそ)賞す可き者有り。奇巧にして賞す可きは、一時の賞なり。雅素にして賞す可き者は則ち無限の賞なり。真に之れを珍品と謂う()し。蘭人(らんじん)(もたら)(きた)る物件は、(おおむ)ね奇巧なり。吾れ其の雅致(がち)無きを知る。但だ其の精巧は、則ち(おそ)る可きの一端なり。 

岫雲斎
品物にはすべて奇巧、即ち奇妙かつ精巧で賞めるべきものと、雅素即ち高尚で飾り気がないので誉めるべきものとがある。前者は一時的なものであり後者は何時までも誉めるべきものだ。これが本当に珍品と言える。オランダ人の持って来る品物は概ね奇妙精巧であるが、雅致に欠ける。ただ、その精巧さつ実に恐るべきものの一端である。

18日 249
敬すべきは天、恐るべきは人

雷霆(らいてい)地震は、人皆驚けども、而も未だ大に驚くに至らず。但だ大熕(たいほう)一たび響いて、不意に()でなば、則ち喫驚(きっきょう)するを免れじ。其の人為(じんい)に出ずるを以てなり。(ここ)に知る、敬す可きは天にして、(おそ)る可きは人なることを。 

岫雲斎
激しい雷や地震に人はみな驚くが、大いに驚くという程のものではない。ただ、大砲が一発ドンと不意に響くと驚嘆する。それは人間の仕業によるからだ。だから敬すべきは天であり恐るべきは人であると知るのだ。

19日

250.
東方の人は義勇、西方の人は智慧

「帝は(しん)に出ず」とは、日出(ひいずる)の方なり。故に東方の人は義勇有りて、震発(しんぱつ)の気多きに居る。(すなわ)ち頼む可きなり。「()(よろこ)び言う」とは、日没の方なり。故に西方の人智慧有りて、()(えつ)の気多きに居る。(かえ)って(おそ)()きなり。(えき)()()くの如し、宜しく察を致すべし。 

岫雲斎
易理によると次ぎの如しである。「易経に、帝、即ち造化の主宰者は、震に出ず」とある。震は東方の日の出る方角である。だから東方の人、日本人は義勇の精神に富み、震い立つ気概があるから頼みに足る事が出来る。また易経に「()(よろこ)び言う」とあるが、兌は西方角であり日没の方角であり、西方の人はみな智慧があり喜びの気が多く恐るべきである。易の理はこの通りである、よくよく考えなくてはならぬ。

20日 251.          
唐虞の治は情

(とう)()()は、()だ是れ(じょう)の一字のみ。極めて之れを言えば、万物一体も、(じょう)(すい)に外ならず。 

岫雲斎
尭帝と舜帝の政治は理想的であった。要するにそれは情の一字に帰着する。これを極言して言えば、宇宙万物はみな一体であり、万物を一体ならしめるものは何かと言えば「情」を推し広げたものにほかならないのだ。

21日 252.          
人君五則 
その一

人君たる者は、宜しく下情(かじょう)に通ずべきは、(もと)よりなり。人臣たる者も、亦宜しく上情(じょうじょう)に通ずべし。(しか)らざれば諫諍(かんそう)(てき)ならず。 

岫雲斎
君主たる者は、下々(しもじも)の事情に通じなくてはならぬ事は申すまでもなし。また、人の臣たる者も、上の事情に通じなくてはならぬ。さもなくば、幾ら人君を諫めても的外(まとはず)れとなろう。
22日 253.          
人君五則 
その二

(じん)(しゅ)は宜しく大体を()ぶべく、宰臣は宜しく国法を()るべし。文臣は教化(きょうか)を敷き、武臣は士職を励まし、其の()小大(しょうだい)有司(ゆうし)、各々其の職を守り、合して以て一体と()らば、則ち国(おさ)むるに(たた)らじ。 

岫雲斎
元首は大局を掴む、大臣は国家の法律を執行する。文官は主として教化即ち国民を教え感化し、武官は武士の職務を督励する。そして、その他の役人が各々その職分を守る。このように全体が一体とならば国家は自然と治まる。 

23日 254.          
人君五則 
その三
人主は最も明威(めいい)を要す。(とく)()()威なれば則ち威なれども(もう)ならす゜。(とく)(めい)()れ明なれば、則ち明なれども察ならず。 

岫雲斎
元首は徳明と徳惟が大切。徳威は徳の備わった威厳であるから、威はあるが猛からずである。徳明も徳の備わった明哲である。これは又明察であり苛察ではない。つまり大局が正しければよい。細かいことは見て見ない振りをするようでなくてはならぬ。

24日 255.          
人君五則 
その四

(じん)(くん)たる者は、臣無きを(うれ)うるこの()く、宜しく(きみ)無きを患うべし。即ち(くん)(とく)なり。人臣(じんしん)たる者は、君無きを患うること(なか)れ。宜しく臣無きを患うべし。即ち臣道なり。 

岫雲斎
元首たる者は、部下に賢臣のいない事を心配しないで、明君のいない事を心配するがよい。つまり、自分が名君であらねばならぬのだ。これがトップの徳である。臣たる者は、明君のいない事でなく自分が果して賢臣であるかを問うべきである。これが臣下たる者の道である。 

25日 256.          
人君五則 
その五
人或は謂う「人主は宜しく喜怒哀憎を(あらわ)さざるべし」と。余は則ち謂う「然らず、喜怒(きど)(せつ)に当り、愛憎実を得れば、則ち一頻一(いちびんいち)(しょう)も、亦仁政の在る所、徒らに外面を飾るは不可なり」と。 

岫雲斎
人は或は「人の上に立つ者は、喜・怒・愛・憎を顔色に出さぬがよい」と言う。然し、私は「そうではないと云う。喜びも怒りも、事実によく的中しており、愛も憎しみも事実と違わなければ良いと考える。換言して言えば、そのようであれば、上に立つ人間が顔をしかめるのも、笑うのも、また仁慈の政治を現すものであり徒らに外形を飾るのは宜しくない」と申しているのだ。

 

26日 257.          
幕政謳歌論
漢土三代以後、封建変じて群県と為る。(これ)以て其の()(おおむ)ね久しきこと能わず。(たまたま)晋史(しんし)を読む。()(しん)()う、「国の藩屏(はんぺい)有るは、猶お川をわたるに舟楫(しゅうしゅう)有るがごとし、安危(あんき)成敗(せいばい)()(じつ)(あい)()す。藩屏()って固くば、乱何を以て階を成さん」と。其の言是くの如し。而も(いきおい)変ずる能わざるを、独り西土(せいど)のみならず、万国皆然り。邦人何ぞ其の(たい)(こう)を忘るるや。 

岫雲斎
中国に於いても、夏・殷・周の三代以後、即ち秦の始皇帝の時代から封建制度が変り郡県制度となった。こうなってからは、その政治を久しく保つ事が不可能となった。たまたま「晋書」を読むと、史官の言うには「国に諸侯があるのは川を渡るのに舟があるようなもので、安危も成敗(せいはい)も諸侯が相助けてゆくわけで、諸侯の守りが堅ければ乱の起こることはない」とある。誠にその通りだ。然し、時の勢いで変化出来ないのは独り中国ばかりではなく世界各国はみな同然である。処がわが国は現在も幕藩封建制度である。この大きい幸いを国民は忘れているようだが、忘れてはならぬ。 

27日 258.          
大臣の心得
凡そ宰臣たる者、徒らに成法に拘泥して、変通を知らざれば、則ち宰臣の用無し。時に古今有り。事に軽重有り。其の要は守る所有りて能く通じ、通ずる所有りて能く守るに在り。()(これ)れを得たりと為す。 

岫雲斎
凡そ一国の大臣たる者は、徒らに成文の法律の文面に拘らずに臨機応変に事件処理に当らねばならぬ事を知らねば大臣たる資格はない。時間的には昔と今は異なるし事柄にも軽重がある。肝心な事は、既成法律の範囲を脱しないことである。このような事をすることを、その道を得た者と言うのである。

28日 259.          
上官は好みあるは不可
上官たる者は、事物に於て宜しく嗜好無かるべし。一たび嗜好を示さば、人必ず此れを以て?(いん)(えん)す。但だ義を(たしな)み善を好むは、則ち人の?(いん)(えん)も亦(いと)わざるのみ。 

岫雲斎
上役たる者は、物事について好みがあってはならぬ。一たび、好みを示すと部下は、それを手づるに栄進を求めて迫ってくる。ただ、正しい道、良い事を好むならば人が幾ら「つて」を求めて来ても構わない。

29日 260.          
政事に従う者の心得
人事には、外変ぜずして内変ずる者之れ有り。名変ぜずして、実変ずる者之れ有り。政に従う者は、宜しく名に()りて以て其の実を責め、外に()きて以て()れを内に求むべし。可なり。 

岫雲斎
人間のなす事には、外見は少しも変わらぬが、内容は変わっているものがある。また、名は変化ないが、実質が変わっているのがある。政事に従う者は、宜しく、名目を頼りに内実がどうなっているかを探求しなくてはならぬ。外見に関しても、その実体がどうなっているのか探究しなくてはならぬ。 

30日 261.          
英主と暗君

(ぐん)小人(しょうじん)(えき)して以て大業を興す者は、英主なり。(しゅ)君子(くんし)()てて而して一身を亡す者は、(あん)(くん)なり。 

岫雲斎

多くの小人を使って大事を興す人は英邁な君主である。多くの君子を捨て用いないで我が身を亡ぼす者は愚昧に君主である。