佐藤一斎 「言志耋禄」その十一 

佐藤一斎 塾規三則

「入学説」 重職心得箇条
 (まん)げん)
佐藤一斎「言志耋録(てつろく)」はしがき

.礼記(らいき)にある人生区分

平成26年6月

1日 293.
老人の養生法五則 
その三

児孫(じそん)団集(だんしゅう)すれば養を成し、老友(ろうゆう)聚話(しゅわ)すれば養を為す。凡そ(きっ)慶事(けいじ)を聞けば、亦皆養を成す。 

岫雲斎
子や孫が団欒し集る事は老人の長生きの活力源となる。同年輩の老人が集り団話することも養生となる。全て目出度い事、喜び事を聞くことも養生になる。

2日 294.
老人の養生法五則 
その四

遠歩(えんぽ)は養に非ず。過食は養に非ず。久坐(きゅうざ)は養に非ず。思慮を労するは尤も養に非ず。 

岫雲斎
老人の養生に悪い事は、遠くまで歩く、食べ過ぎ、長い間坐っている、一番悪いのは色々考える心労である。 

3日 295.
老人の養生法五則 
その五

(しん)()を養うは、養の(さい)なり。体躯を養うは養の(ちゅう)なり。口腹(こうふく)を養うは養の()なり。 

岫雲斎
精神修養が養生の最上策、体を養うのは中策、口や腹を満たすのは養生の最下策。

4日

296
老人に事を謀る時刻

老人に就きて事を謀らんと欲せば、宜しく午中(ごちゅう)前後に在るべし。(こん)()に至れば、則ち思慮(あやま)(やす)し。 

岫雲斎
老人に物事の相談をしようとするには正午前後が一番よい。夕方になれば考えが誤り易くなる。

5日 297.
極老の人

(きょく)(ろう)の人は思慮昏かい(こんかい)す。(たと)えば猶お(すい)(えい)物倒(ものさかさま)となり、舟行(しゆうこう)、岸動くがごとし。彼此(ひし)を弁ぜず、唯だ有徳の老人のみ此の(こん)?(かい)無し。養の(もと)有るを以てなり。 

岫雲斎
ごく高齢の人は考えがぼんやりしており、とりとめがなくなる。それは水に写った影が逆さまとなり舟に乗っていると岸が動いて行くように見える様なもので、あれこれどれが本物か区別がつかない。ただ、修養を積んだ徳のある老人のみ、そのような事はない。その根底には日常の修練、心構えの基礎が確立しているからである。

6日 298
老人の修養六則 
その一
老人は強壮を弱視(じゃくし)すること勿れ。(よう)(ちゅう)を軽侮すること勿れ。或は過慮少断(かりょしょうだん)にして事期(じき)(あや)()ること勿れ。書して以て自ら(いまし)む。 

岫雲斎
老人は強壮な若者を軽視してはならぬ。幼稚な者を侮ってはいけない。或は考え過ぎて決めそこない、決断の時期を誤ってはいけない。書して自らの戒めとする。

7日 299.
老人の修養六則 
その二
老人は数年前の事に於て、往々錯記(さっき)誤認(ごにん)有り。今(みだ)りに人に語らば、少差を免れず。或は障害を()さん。慎まざる()からず。 

岫雲斎
老人は、数年前の事を、時々記憶違いや思い違いをする事がある。今それをそのまま人に話すと、聊かの間違いがあって差し支えを生むかもしれない。慎まねぱならぬ。

8日 300
老人の修養六則 
その三
老人は気急にして、事、速成を好み、自重する能わず。含蓄する能わず。又(みだり)(じん)(げん)を信じて、其の虚実を察する能わず。(いまし)めざる()けんや。 

岫雲斎
老人は気ぜわしく何事でも早く片付けることを好み、じっくり考えることが出来ず、腹の中に蓄えておくことができない。また容易に人の言葉を信用してそれが嘘か本当か見極める事ができない。老人はよくよく自戒しなくてはならぬ。

9日 301          
老人の修養六則 
その四

老人の事を処するは、(こく)に失わずして、()に失い、寛に失わずして、急に失う。(いまし)()し。 

岫雲斎
老人が物事を処理する場合、むごい事で失敗することはないが、仁慈をかけすぎて失敗しやすい。寛大で失敗はないが急ぐ事で失敗しやすい。気をつけねばならぬ。

10日 302          
老人の修養六則 
その五
老人は(もっと)(そん)(じょう)を要す。 

岫雲斎
老人は若い人に譲って行くことが肝要である。

11日 303          
老人の修養六則 
その六

任の重き者は身なり。途の遠き者は年なり。重任を任じて、而も遠途(えんと)(いた)す。老学尤も宜しく老力を励ますべし。 

岫雲斎
責任の重いのは我が身である。その重任を背負って行く道の遠いのは歳月である。換言すれば、人は重責を背負い、遠い道を運んで大目的を果たさなくてはならない。自分のような老学は宜しく老力を督励して死ぬまで学問に励まなくてはならない。 

12日 304.
養老の法二十五則 
その一

常人(じょうじん)の認めて以て養と為す所のもの、其の実或は()って(せい)をそこなう。之れを薬に()りて病を発すと謂う。択ばざる可からず。 

岫雲斎
普通の人が薬と認めているものが実際にはそれを用いて生命を害するものがある。これを薬により病気を起こすという。口に入れるものはよくよく択ばねばならぬ。

13日 305.
養老の法二十五則 
その二
老人の食物に於けるは、宜しく視て薬餌(やくじ)と為すべし。分量有り、加減有り、又生熟(せいじゅく)の度有り。 

岫雲斎
老人が食べる時には、これが体の薬だと心得ること。全て、口に入れるものには適量、味加減、熟成の度合いというものがある。

14日 306.
養老の法二十五則 
その三
養老の法は、(あたか)()れ神道なり。心は静なるを欲し、事は簡なるを欲し、()は厚きを欲し、食は(やわらか)きを欲し、室は西南の暖きを欲す。 

岫雲斎
老人の養老法は、ちょうど神道、即ち地の道である。即ち天地が万物を育てるような心がけが必要、心は静か、万事に簡素、衣服は厚く、食べ物は柔らかく、部屋は暖かな西南の部屋が望ましい。(易経の地の道とは(こん)の道。坤の在り方は、()(せい)()(じゅう)()(こう)で西南に良いとある。) 

15日 307.
養老の法二十五則 
その四
老人は速成を好む。戒むべし。荀便(こうべん)を好む。戒む可し。憫恤(びんじゅつ)に過ぐ。戒む可し。此の(ほか)(なお)執拗(しつよう)拘泥(こうでい)畏縮(いしゅく)過慮(かりょ)の数件有り、()べて是れ衰頽(すいたい)念頭(ねんとう)なり。(すべか)らく()く奮然として気を(おこ)し、此の念を破卻(はきゃく)すべし。 

岫雲斎
老人はせっかちで物事の早く出来上がるのを好むが戒めるべし。一時しのぎの便利な事を好むがこれも戒めるべし。また、人を憐れみ過ぎるのもよくない。その他、しつこい、一事にこだわり過ぎる、ものを畏縮する、心配し過ぎるなどの数件もある。これらは全て衰え弱った心の状態を示すものだ、是非共奮然として元気を起してこの観念を破り退けなくてはならぬ。

16日 308.
養老の法二十五則 
その五
老人自ら養うに四件有り。曰く、和易(わい)。曰く自然、曰く逍遥(しょうよう)、曰く流動、()れなり。(もろもろ)激烈の(こと)皆害有り。 

岫雲斎
老人が自ら養生しなくてはならぬ事が四件ある。
一、心がやわらいでいる事。二、何事も自然の成り行きにまかせて焦らない事。三、境遇に安んじて、ゆったり楽しく暮す事。
四、一つの事に凝り固まらぬようにする事。なお、色々な肉体的と言わず精神的と言わず激しい事は、みな養生の害である。

17日 309.
養老の法二十五則 
その六
老人はもつぱら養生に(こだわ)りて、或は(かえ)って之れを害す。但だ(いじん)を為すこと勿れ。即ち是れ養生なり。 

岫雲斎
老人は専ら養生にこだわり過ぎて却って身体を害することもある。とかく何事も過度にならないことだ。 

18日 310.
養老の法二十五則 
その七
養老の侍人(じじん)は、宜しく老婦練熟の者を用うべし。少年女子、多くは事を解せず。 

岫雲斎
老人の付き添いは年老いた婦人で物事によく習熟した者が宜しい。年若い女子は物事を知らぬから役に立たない。

19日 311.
養老の法二十五則 
その八
老を養うに酒を用うるは、(れい)(しゅ)()しくは濁醪(だくろう)を以て()と為す。(じゅん)(しゅ)は烈に過ぎて、老躯の宜しきに非ず。

岫雲斎
老人の体の為には、甘酒かどぶろくがよかろう。上酒は強すぎて老体には適さない。((れい)(しゅ)=甘味の酒、濁醪(だくろう)=にごり酒、(じゅん)(しゅ)=濃厚な酒、上酒のこと。)

20日 312.
養老の法二十五則 
その九
養老の(ほう)夜燭(やしょく)(あきらか)なるを要し、侍人(じじん)は多きを要す。児孫(そば)()()するも妨けず。宜しく人の気を以て養と為すべし。必ずしも薬餌(やくじ)を頼まず。 

岫雲斎
老人の日々には、夜は灯火が明るいのがよく、側には人の多いほどよい。子供や孫が側で喜んでいても差し支えない。要するに人のいる雰囲気が老人の為にはよい。必ずしも薬ばかりに依存しては宜しくない。

21日 313.
養老の法二十五則 
その十
「その志を持して、其の気を養うこと無かれ」と。この(おしえ)は養生に於ても亦益有り。 

岫雲斎
心を一定方向にのみ向け感情を暴発させない、これは養生の益になる。

22日 314.
養老の法二十五則 
その十一

花木(かもく)を観て以て目を養い、(てい)(ちょう)を聴いて以て耳を養い、香草(こうそう)()いで以て鼻を養い、甘滑(かんかつ)を食いて以て口を養い、時に大小字を揮灑(きしゃ)して以て()(わん)を養い、園中(えんちょう)??(しょうよう)して以て()(きゃく)を養う。凡そ物其の節度を得れば皆以て養と為すに足るのみ。 

岫雲斎
花の咲いた木を鑑賞して目を養い、啼く鳥の声を聞いて耳を養う、芳香のある草の香りをかいで鼻を養い、甘い口あたりのよう物を食べて口を養い、時には大小の字を揮毫して(ひじや)(うで)を養い、庭園を逍遥して股や脚を養う。これらの事、全て程好い度合であればみな自分の身の幸せとなる。

23日 315.
養老の法二十五則 
その十二
心身は一なり。心を養うは(たん)(ぱく)に在り。身を養うも亦然り。心を養うは寡欲(かよく)に在り。身を養うも亦然り。 

岫雲斎
心と体は一つのものである。心を養うには淡白、即ち、「さっぱりとして物事に執着しない」ようにするのが良い。体を養うのも同じである。また、心を養うには欲望を少なくかるのがよい、体を養うのも同様である。 

24日 316.
養老の法二十五則 
その十三

()今年(こんねん)辛亥(しんがい)(てつ)(れい)にして、衰老の(きょく)()()夙痾(しゅくあ)も亦同じく衰えぬ。()って思う。「今に於て宜しく外感(がいかん)(うれ)うべし」と。(すなわ)ち日に薬を服して預防(よぼう)し、又益々飲食を節し、起居(ききょ)を慎む。(ねがわ)くは以て一日を延べん。即ち亦身を守るの(こう)(しか)() 

岫雲斎
自分は今年80歳となり老い衰えの極みに達し同時にお腹の持病も衰えてきた。
それで「今からは外から犯される病気に(かか)らないようにしなければならぬ」と思う。
そこで毎日薬を飲んで予防し、また飲食を節し、寝たり起きたりに気をつけている。
願うことは、一日でも生き延びたいことだ。
この事が父母から受けたこの身を守る孝行ではなかろうか。

25日 317
養老の法二十五則 
その十四
養生、(わたくし)()ずれば、則ち(よう)(ひるがえ)って害を招き、(おおやけ)に出ずれば、則ち養実に養を成す。公私の差は(ごう)(はつ)に在り。

岫雲斎
養生は我が身可愛さという私心から出ると、却って害を招く。国の為、夜の為に我が身を大切らするという公の心から出たものであれば、養生は本物となる。この公と私の違いは、ごく僅かなな所にあるので、よくよく注意が必要である。 

26日 318.
養老の法二十五則 
その十五
凡そ事は度を過す()からず。人道()とより然り。則ち此れも亦養生なり。 

岫雲斎
何事でも度を越すことはよくない。人間の踏み行うべき道に就いても同じこと。「正しい道でも過ぎれば悪くなる」。養生に就いても同様である。

27日 319.
養老の法二十五則 
その十六
老人の、養生を忘れざるは()とより可なり。然れども已甚(はなはだ)しきに至れば、則ち人欲を免れず。労す可きには則ち労し、苦しむ可きには則ち苦しみ一息尚お存しなば、人道を(あやま)ること勿れ。(すなわ)()れ人の天に(つか)うるの道にして、天の人を助くるの理なり。養生の正路は、(けだ)(ここ)に在り。 

岫雲斎
老人が養生を忘れないということは結構なことだ。然し、それが余り酷くなると私欲である。苦労する時は苦労し、一息でも息のある時は人間の道を踏み過ってはならぬ。これは人間が天に対し仕える道であり天が助けるの道理である。養生の正しい路は将にここに在るのだ。  

28日 320.
養老の法二十五則 
その十七
老人は養生に托して以て放肆(ほうし)なること(なか)れ。養生に托して以て奢侈(しゃし)なること(なか)れ。養生に托して以て貪冒(とんぼう)なること(なか)れ。書して以て自ら(いまし)む。 

岫雲斎老人は養生にかこつけて勝手気ままにしたり奢りに耽ったり、無闇に欲張ったりしてはならぬ。自戒の為に書いておく。

29日 321.
養老の法二十五則 
その十八
老を養うは一の(あん)の字を(たも)つを要す。心安く、身安く、事安し。何の養か之れに()かん。 

岫雲斎
老人の養生には「安」の一字を保つことがポイントである。即ち、心が安らかな事、身も安らかなこと、そして事をなすにも安らかである事。これ以上のものはない。

30日 322.
養老の法二十五則 
その十九

清忙(せいぼう)は養を成す。()(かん)は養に非ず。 

岫雲斎
心に清々(すがすが)しさのある多忙は養生になる。余りにもひま過ぎるのは養生にならない。