佐藤一斎 「言志耋録」その十二 最終章

佐藤一斎 塾規三則

「入学説」 重職心得箇条
 (まん)げん)
佐藤一斎「言志耋録(てつろく)」はしがき

.礼記(らいき)にある人生区分

平成26年7月

1日 323.
養老の法二十五則 
その二十
暁には早起を要し、夜には熟睡を要す。並に是れ養生なり。 

岫雲斎
朝早く起き、夜はぐっすり眠る。この二つは養生である。

2日 324.
養老の法二十五則 
その二十一

親没するの後、吾が()即ち親なり。我れの養生は、即ち親の()を養うなり。認めて自私と()()からず。 

岫雲斎
親が亡くなってからの自分の体は親の体と同じである。自分の養生とは即ち親の遺体を養うことである。決して私事と思うてはならぬ。

3日 325.
養老の法二十五則 
その二十二

老人は()(ちょう)無きを(うれ)えずも、決断無きを(うれ)う。 

岫雲斎
老人は物事を慎重にしないということの心配は無い。だが思い切って決行しないことが懸念である。

4日 326.
養老の法二十五則 
その二十三
老人は平居(へいきょ)索然(さくぜん)として楽しまず。宜しく(つね)()()を存し以て自に養うべし。 

岫雲斎
老人は普段は寂しく楽しくないものである。務めてにこにこと喜ばしい気分を出して自ら養生するがいいる

5日 327
養老の法二十五則 
その二十四

老人は宜しく流水に臨み、遠山(えんざん)を仰ぎ、以て恢豁(かいかつつ)の観を為すべし。真に是れ養生なり。?()し或は(ふう)(かん)(おそ)れ、常に()を擁し室に在るは、則ち養に似て養に非ず。 

岫雲斎
老人は是非とも、流れる水を見たり、遠い山々を眺めたりし広大な観望をするがよい。これが本当の養生である。もし、風や寒さを恐れて夜着や布団を被って部屋に居るのは養生に似て養生ではない。

6日 328一生の計 人生は二十より三十に至る、(まさ)に出ずるの日の如し。四十より六十に至る、日中の日の如く、盛徳(せいとく)大業(だいぎょう)、此の時候に在り、七十八十は、則ち衰退(すいたい)して、将に落ちんとする日の如く、能く為す無きのみ。少壮者は宜しく時に及びて勉強し以て大業を成すべし。()()(たん)或ること()くば可なり。 

岫雲斎
人間の一生は20から30迄は丁度、日の出の太陽のようなものだ。40から60迄は日中の太陽のようだ。偉大な徳を立てて、大業を成就するのはこの時代である。70から80の間は、体が衰え仕事が思うように進まない、恰も西に落ちようとする太陽のようで、何事もすることができない。若い人々は若い時代に一心に務め(いそ)しんで大きな仕事をするがよい。年老いてからは、日暮れて道遠し、と嘆くようなことが無ければよい。

7日 329
養老の法二十五則 
その二十五
養老の一念、孝敬より出ずるは、()と天に(つか)うるの道たり。常人の養生は、或は是れ自私なり。宜しく択ぶ所を知るべきのみ。 

岫雲斎
養生の一念が親を敬い、身を慎むという観念から出たものであり天に仕える道である。常人の養生は我が身の為の私欲に拘ったものだ。養生は孝敬に基づくものであり択ぶ所を知らねばならない。
 

8日 330.老人の決断

老人の決を()くは、神気(じんき)乏しきを以てなり。唯だ事理(じり)精明なれば、則ち理以て気を(ひき)い、此の弊無きのみ。 

岫雲斎
老人が決断力が鈍るのは精神の活力が乏しいからである。ただ事柄の筋道が明快でさえあれば、理屈が気力を引っ張って行くから弊害は起らない。

9日 331.死して天地に帰す 老人の天数(てんすう)()うる者は、(ぜん)を以て移る。老いて漸く善く忘る。忘ること甚しければ則ち(もう)す。(もう)(きょく)(すなわ)(ぼう)す。亡すれば即ち?()して、原数(げんすう)に帰す 

岫雲斎
老人が天寿を全うするのは次第に移ってゆくもので急変するものではない。年とると物忘れする。
これが酷くなると耄碌(もうろく)である。耄碌の果ては死ぬこととなる。死ねば形骸を失い運命の原点に帰るのである。

10日 332.老を頼むこと勿れ

少者(しょうしゃ)(わかき)()るること勿れ。壮者は壮に任ずること勿れ。老者は老を頼むこと勿れ。 

岫雲斎
若者は若いことをいいことにしてはならぬ。壮年の者は血気盛んにまかせてやり過ぎてはならぬ。老人は老齢をいいことにしてはならぬ。

11日 333
孫は子よりも可愛い

親の道は慈に在り。人(おおむ)ね子に厳にして、孫に慈す。何ぞや。蓋し其の子に厳なるは(せき)(ぜん)の切なるを以て然り。(すなわ)ち慈なり。其の孫に慈するは、其の我れに代リ以て善を責むる者有るを以て、故に只だ其の慈を見るのみ。祖先の子孫に於けるも、其の情(けだ)し亦(あい)(ちが)いに(しか)らんか。 

岫雲斎
親の子に対する道は慈愛である。然るに、人は大抵、子には厳しく、孫に慈悲深いのは何故であろうか。それは、子に厳しいのは善行を勧める心が痛切な為である。このことは、やはり子に対する慈愛なのである。その孫に慈愛深いのは自分に代わって善を責める者がいるからで、ただ慈愛だけを見せることになる。祖先の子孫に対する情も、こういう具合に互いに、子には厳、孫には慈と、互い違いに伝わってきたのではなかろうか。 

12日 334.老人の死

人道は只だ是れ(せい)(けい)のみ。生きて既に生を全うし、死して(すなわ)ち死に安んずるは、敬よりして誠なるなり。生死は天来、順にして之れを受くるは、誠よりして敬なるなり。()の短長を較べ苦楽を説くに至りては、則ち(つい)に是れ男女親族の私情にして、死者に於ては此の()(ねん)無きのみ。 

岫雲斎
人の踏むべき道は、ただ誠と敬の二つだけである。生きてその誠を全うし、死んでその死に安んずるのが敬の修養を積んで誠の道を得た結果である。生死は天の仕事で人力のなすすべの無いものであり従順に天命を受けるのは誠の修養から敬の道を得たものである。誰が短命で誰が長命だとか、苦しんで死んだとか楽に死ねたとか言うのは子供や親族の私情であり亡くなった者に於ては、そのような考えは遺しておらない。 

13日 335.長生久視は言うに足らず

人身の気脈は、(うしお)と進退し、月と盈縮(えいしゅく)すれば、則ち死生は()と定数有り。但だ養生して以て()くる所の数を全うするを(ここ)に得たりと為す。長生(ちょうせい)(きゅう)()()うに足らざるのみ。 

岫雲斎
人間の気脈は潮の干満と共に進退し、月と共に満ちたり縮んだりする。これに視る如く、人間の死生はもとより天の定めがあると分る。ただ養生をして天から授かった寿命を全うするのが天命を得たということである。世に永らえて生きて老いず、所謂、不老長生などは問題にならない事である。

14日 336極老の死は眠るが如し

凡そ、生気有る者は死を畏る。生気全く尽くれば、此の念亦尽く。故に(きょく)(ろう)の人は一死(いっし)(ねむ)るが如し。 

岫雲斎
生気あるものは全て死を恐れる。生気が全く尽きると死を恐れる気持ちも消滅する。であるから極く年取った人の死ぬのは恰も眠るようである。

15日 337.死生観

(しゃく)は死生を以て一大事と為す。我は則ち(おも)う「昼夜は()れ一日の死生にして、呼吸は是れ一時の死生なり。()だ是れ尋常の事のみ」と。然るに我れの我れたる所以(ゆえん)の者は、(けだ)し死生の外に在り。(すべか)らく善く自ら探し求めて之れを自得すべし。 

岫雲斎
仏教では死生を第一義の重大事としている。自分はこう思う「昼と夜は一日の生と死である。人間の吸う息と、吐く息はひとときの生と死である。ただ、これは日常普通のことである」と。然し、我の我たる拠り所は死生の外にある。是非共、よくこの道理を自ら探し求めて体得しなければならない。 

16日 338.臨終の工夫

臨没(りんぼつ)の工夫は、宜しく一念に未生(みしょう)の我れをもとむべし。「(はじめ)(たず)(おわり)に返り、死生の説を知る」とは、()れなり。 

岫雲斎
死に臨むに就いての工夫は、まだ生まれない前の自分を求める事が肝要である。易経の繋辞上伝の「生まれない前の自分を求めれば、死後の自分はまたそこに帰る事が分り心は安らぐ。このようにして儒教の死生観を会得する」とあるが、これは正にこの事を言うておるのじゃ。

17日 339.臨終の誠意

誠意は()れ終身の工夫なり。一息(いっそく)()お存すれば一息の意有り。臨没には()(たん)(ぜん)として(るい)無きを要す。即ち是れ臨没の誠意なり。 

岫雲斎
心を誠にする事は生涯を通じて工夫しなければならぬことである。一息でもある間には、そこに一息の心があるのだからその心を誠にしてなくてはならぬ。臨終に際しては、ただ、さっぱりと心に何らの煩いの無い事が肝要で、これが臨終の誠ということである。 

18日
最終日
340.
君父の大恩を謝して瞑せん
吾が()は、父母(まっと)うして之れを生む。当に全うして之れを帰すべし。臨没の時は、他念有ること(なか)れ。唯だ君父の大恩を謝して(めい)せんのみ。()()れを(おわり)(まっ)うすと()う。
  凡て三百四十条    男
 校字 

岫雲斎
自分の身体は父母が完全な形で生んでくれたものである。従って当然なこととして完全な形でこれを返さねばならぬ。臨終の時は、外の事を考えてはならぬ。ひたすら、父母の大恩を感謝して目を閉じるだけである。これを終りを全うすと言う。

 三男 
 校訂す。

余白と

岫雲斎の御礼

三男は佐藤一斎先生の第三子、立軒と号した。先生没後、家を継ぎ幕府の儒官となる。後に東叡山の侍講となる。明治1864歳で没す。 
耋録は、佐藤一斎先生80歳の時に起稿し、それから三年後の83歳の時に刊行されている。佐藤一斎先生は88歳の高齢で逝去された。

辞世の句 
父母に呼ばれてかりに 客に来て

心残さず帰る故里
 

岫雲斎翻訳に関して

平成24823日午前536分完了。
平成20530日から開始したので、実に4
年と2ヶ月23日で全四巻を翻訳した事となる、
感慨無量なり。

そして平成23年6月1日から日々このホームページに掲載を始めて本日掲載を終えた。この間、実に3年と48日、健康を感謝して終わります。ご愛読心から御礼を申し上げます。有難うございました。
  岫雲斎圀典