新しい神道の予感徳永圀典         
                      目次 
                日本固有の道 平成20年10月5日                 

[T]新しい神道の予感           2 頁  

[U]日本の神様              3   

[V]カミ・神・ゴッド           5  

W]神様の衣装箱             8  

[X]外国国歌の歌詞            10  

[Y]「武士道」抄論              12  

[Z] 鎮守の森                              14          

[[]神様は「森と水」                       16 

[\]砂漠の神                                 18頁 

[]]神様と市場経済                         20 頁
[]T]
風土                 22

[]U] 日本国や神社に感動した外国人発言集  24頁   

 []V] 日本の神様は地球・人類を救う環境保護の大神さま  26
 
 「[」  現前的実在「山々の神仏」

 「[  神社の鏡 
           
 「\」 徳永の「神道・神社の解説」@   徳永の「神道・神社の解説」A

「]T」 日本の叡知ー伊勢遷宮年を寿ぐ@ 

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宣言「日本の神様は地球保護神」 日本海新聞 潮流 寄稿 平成1919

古代から八百万の神々や大自然の偉大な働きを考えて「我々の身体は地球からの借り物」という日本人の思想は科学的に正しい。身体の凡ての元素は地球からの借り物で、我々は一定期間地球に存在したら身体をすべて地球や宇宙に返還する。

21世紀は、「生命の元の親」であるその地球に感謝し自然と共に生きるという日本的存念が世界人類に必要になってきた。

その思想の根幹にあるのが神道である。森の中で祈ることを日本人以外は考えつかなかった、森こそ生命の泉であり神である。人類の文明とか歴史を回顧すると、森の在る所、必ず文明は興り、森を食い潰した時、その文明は必ず滅んでいる。
日本は縄文の太古より
21世紀の現在まで国土は深い緑に覆われて、いよいよ栄えている。それは日本民族が古代から自覚の有無に拘らず神道が血となり肉となって森との共生・共存の思想で生きてきたからである。日本の原理即ち神道は森の原理と言える。

これに対して西洋の原理は物質主義に根ざし、大量生産・大量消費の思想を生み自然破壊を招いた。西洋文明は原理的に自然征服・破壊の欲求から生まれた荒々しい文明で、現在の地球環境破壊の思想的元凶である。現在の地球環境破壊は五百年にわたるこの西洋原理が破綻しつつある事を示す。
このような視点から帰納して行くと、日本の神様はまさに地球環境保護の大神様と言える。この日本の神様の原理こそ
21世紀の地球・人類の幸せを守る普遍的原理であると世界を啓蒙し周知せしめたいと切に願う。自然と環境に優しい神道こそ、世界を救う地球宗教だと我々は自信を持たねばならぬ。

世界的歴史学者アーノルド・トインビーが伊勢神宮に参拝して「この聖地に於いて私はすべての宗教の根底的統一性を感得する」と感動し毛筆で署名した。神道こそ地球人類の危機を救うと、人類の大英知トインビーが予言した事に日本人は矜持を持ってよい。

そこで新年にあたり、私は「日本の神様は地球環境保護神」だと宣言する。以下はその精神内容である。

日本神道は

@人間に幸せをもたらす森羅万象の偉大なるものを神として(あが)める。(自然崇拝) 

A 人間の幸せを築いた古代の偉大な人物も神として崇拝する祖先崇拝の思想で貫かれている。この敬神崇祖が神道の基本。(先祖崇拝) 

B 森と水は人間や万物の命を育てる元として、こよない感謝の対象とする。(森林は万物の命の水と酸素を育成)

C太陽は全生命の根源、その化身の天照大神(女性)は自ら働かれ機織(はたおり)された。天皇自ら田植えをされ、皇后も養蚕される伝統が続いている。働くこと、手を使うことは日本の美徳。(日本の労働は欣労(きんろう)) 

D森の中のお(やしろ)に鎮座され、簡素・質素を旨として地域や住民を護見守られる。(大地・住民保護)

E水は生命の根源であると共に清浄・清潔をもたらす、「ハラエタマエ・キヨメタマエ」を祈りの言葉とする。(清浄清潔は健康の基本)

F人間は死ねば、誰でも神となり「(みこと)または(みこと)」と呼ばれる。(先祖の祭り、人間の平等性)

Gもったいない、簡素を旨とし、平安・豊穣を祈り、人間に素朴な健康生活をもたらす。 (資源尊重)

H和魂(にぎたま)は穏やかな心で人間に自然の恵みを教え平和に導く。(平和共存の原理)

I日本の神様は大自然の心にかなう地球・人類生存の根幹原理そのものである。(人間は宇宙の一部) 
                      (鳥取市)鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典      


「T」平成18年 1月 6日 日本海新聞 潮流コラム寄稿 

新しい神道の予感 

これぞ、生命の泉ともいうべき貴国の春を知り、芸術の源ともいうべき秋を知りました。・・女性の優雅、料理の丹精に何をつけ加えましょうや。何より惹かれましたものは日本の霊性、これであります。神道の奥義に触れようとして、得がたい経験を積み、今やそれは我が人生の宝となりました。この経験から断固として、こう言うことができます。「神道なくして日本はない」と。・・なぜ皆さんはご自分について疑い、ルーツから遠ざかっていらっしゃるのか理解に苦しみます。日本の皆様は人類史上最大の精神文化の一つの継承者です。・・もっと毅然として、千古脈々たる「大和魂」を発揚しようとなさらないのですか。(フランス人作家ジェルマントマ)。

新年早々、涙を禁じえない。わが国は、温暖な気候と緑豊かな自然、そして周囲を海に囲まれるという環境に恵まれて孤立性風土もあり、他民族の侵略や文化的影響もなく、生まれたままの素直な人情と感性をそのまま文化として持ち続け今日にまで及んでいる。地球の未来は明るくないし、我が国も敗戦後60年というに、今尚、国家民族の座標軸が定まらず、悲観論、絶望論が満ち溢ふれ、日本は迷っている。高山で道に迷ったら、一旦、道の分かる場所に戻り、現在地を特定し、考え直すのが基本である。中世では、鎖国して民族としての自己確認の時を費やした。こうして民族は自己を取り戻す。自己確認とは、国の原点、成り立ち、父祖が血と汗で歩んだ過去の歴史を辿り原点を学び直すことである。それが民族として、生きる上で最も効率的であり合理性がある。日本の未来を構想するには、日本の国柄を見つめ直すことが近道なのである。世界の先進国で、国家発祥以来、生まのままに近い姿を残し伝えているのは日本文明しかない。

ここ五百年、世界を動かしてきた中心文明は西洋文明で、その物質文明から発する様々な矛盾・弊害は遂に限界に達し、地球的規模で人類生存の危機を招きかねないまでに至っている。宗教紛争は民族・文明間の衝突の様相を示し、各地の紛争も、すべて西洋の原理が齎したものだ。西洋の原理は、自然征服、対立、抗争、闘争、怨念、復讐、人権、自我等の実に荒々しい狩猟文明で、罠、囮の謀略、搾取、虐殺の思想が見られる。その原理は、一神教的非寛容な絶対神的価値を優先し、他の神や文明と共存共栄することを知らぬ文明と言える。
このような価値観では、人類は地球共々破滅へと導引するものを感じる。一神教的文明は対立の剛構造である。

対して日本の文明は、その対極に在る柔構造で、談合、調和、和の共存思想を持つ。それは、大自然と対決し征服するという概念ではなく、自然をそのまま受け入れる思想が根底にある。「感謝・もったいない」であり質素・簡素がその基本的特徴。これらは、取りも直さず、日本の神様、日本神道、かんながらの道、即ちわが国発祥以来父祖の歩んできた道そのものである。21世紀の人類共存に必要不可欠な原理であると思われる。

なぜなら、西洋文明の、力を源泉とする大量消費は地球を食いつぶしつつあるからだ。神社や鎮守の森は、2千年前から連綿と続き現代的価値まで保有する。叡智と言うべき、政治権力を持たない皇室は125代、世界最古で連綿と続いている。神社と同様、日本は大自然国家ということになる。

日本語は世界に三千近い言語があるが仲間がいない。これは、日本の国も言語(やまと言葉)も、この列島の風土から自然発生したということである。神道は戒律も制裁もなく自然崇拝と清浄・感謝であり、宗教ではなく自然の相を示すもので、この恵まれた平和の風土から自然発生し縄文の太古から涵養されてきたものだ。自国の事を大和「やまと」と言ったのも和を大切にした民族国家ということであろう。

神道の原理には、21世紀の地球を救うものが秘められており、地球・人類、現代文明の危機を救うものだと自己再発見を遂げ世界に自信を以って発信したいものである。

 

「U」 平成10年1月4日 日本海新聞 潮流コラム寄稿 

日本の神様 

一 今年のお正月も全国各地の神社に大勢の人々がお参りした。例年の事にて特に目新しくはない。
  元旦とか出産とか入学とか人生の折り目折り目に心を新たにしたい時われわれは神社に参拝する。この島の人々が縄文時代から自然にやってきた事だ。現在のわが国の神社総数は約十一万その内神社庁管轄は約八万と聞く。九百二十七年の延喜式当時各集落の小さな祀も含め既に八万以上あったらしい。先祖様も神様を祭るのが好きで神様と共に生きてきた民族だとつくづく思う。どこの国にも神話時代がある。然し日本の神は西欧的概念のゴッドと違う。キリストとかイスラムの神々は唯一絶対神で戒律を持ち異教に対し歴史的に排他的である。聖書とか神学も戒律も無い神道。仏教のような深遠な哲学も膨大な教典も無い神道。日本の神々は自然崇拝的で巨石、大樹、滝とかにも神を感じたのがわれわれの先祖だ。      

二 神様は架空のものであろうか。私はそうは思わない。余りにも幽遠にして学問的には実証不能であろうが架空の人を何千年も崇拝する程人間とはヤワなものではあるまい。古代に村を開拓したり稲作を教えたり火の起こし方を指導したりして民に恩恵を与えた偉大な方々であったと思う。 

三 記紀によれば天照大神の第一子アメノオシホミミから三代へてウカヤフキアヘズの子が神武天皇。即ち現在の天皇家だ。第二子アメノホヒの子孫が出雲大社の国造家だ。昭和天皇崩御の時現天皇が大嘗祭をされた。天皇しかなさらぬ行事があった。多分即位された天皇は祖霊に捧げた食事をされて祖霊と一心同体となられ祖霊の精神即ち霊、魂を受けて原点に立つ再生の儀式をされたと思う。出雲の国造家も亀太夫神事を終えて相嘗の儀式があるやに聞く。共通している神事のようだ。両者共に祖霊を受け継ぎ自らが新たに再生し甦る儀式であろう。だから両家は二千年も存続しているのだ。毎年の儀式で精神の再生と復活が行なわれていると私はみる。

四 伊勢神宮は二十年毎に遷宮を行う。宇宙万物は変化して止まない。停滞を防ぎ生成発展の為の儀式を二十年毎に行いそれにより精神が活発化し永続して行くのは嘗の儀式と相通ずるように見える。人間の知恵を感じる。
十二月下旬の冬至は陽の死であり新年を迎え鎮守の森で打つ柏手はわれわれ庶民のささやかな再生の儀式と言えるのではないか。こうして精神が自浄作用をする。こう考えると日本民族数千年の知恵は大変なもののように思える。


五 数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じたと言う。新年のお宮参りもわれわれは無意識の内にその簡素美の中にそれを感じて心の安らぎを覚えてきたのであろう。


六 このように自然に見てくると明治以降特に昭和十年頃からの神社即ち日本の神様は軍部に利用されてしまったと断ぜざるを得ない。真の姿がここ数十年で一部日本人にも勿論外国にも誤解されている。  

七 私は神とは大自然、宇宙を動かす理とか法則と言うか森羅万象に満ち満ちている力の様なものではないかと思ってみたりする。その理法に対して多少の矛盾とか反則に一々拘泥しないが宇宙の理法に反する事は何時の日にか必ず摘出されるのではないか。何故なら人間も大自然の一生命に過ぎぬから。


八 自然と言えば歴史家で著名なトインビーであったか文明は必ず滅亡する事実から西欧的考察で行き詰まり東洋的自然観即ち大自然の理法を学び遂に易経の変化の原理で開眼したと読んだ事がある。

     

  窮すれば変ず。変ずれば即ち通ず。

この哲学では物事は行き詰まる事は無い。日本国の現況は行き詰まっている。今直ちに為すべき事は自らが変ずる事ではあるまいか。これは大自然の理法にも適い日本の神様にも通ずる。        完

 

「V」 平成14年1月4日 日本海新聞 潮流コラム寄稿 

カミ・神・ゴッド
  
 お正月には蔵やクドのカミ様にお餅をお供えしている家庭が今でもあろう。地鎮祭、木霊、刀鍛冶の火にもカミを意識しカミに近づくためミソギをして穢れを払い清浄になろうとする日本人。深層心理は無意識にカミを感じている。古大木とか、イワクラと呼ぶ巨岩、滝とか雷にも古代の日本人はカミの宿りを感じた。これが伝来の日本のカミである。太陽もカミとして日々祈っている人も多かろう。実りの秋になると新嘗祭として五穀豊穣の感謝祭を行う。天皇が即位された時に行う大嘗祭は紛れも無く農耕民族の自然崇拝の産物である。天地の恵みをカミに感謝するお祭りだ。日本人はこのようにして自然をあがめ自然現象をもカミとしてあがめその恵みに手をあわせてきた民族である。人間を超えた大きな存在が天地宇宙に存在しているのは事実だ。その天地自然の到る所にカミを感じてきた日本人、将に八百万のカミガミがおわす日本国なのである。日本とはこのような意味で縄文時代からカミガミの国なのは歴史的事実である。異議を唱える人々は真の日本を知らぬか、為にする輩か偏向したイデオローグで素直でない。日本は紛れもなくカミガミの国である。故に2千年前の日本国の創始者達は自然のカミガミをあがめる司祭者を天皇としたのであろう。2千年前から連綿としてこのような国である。歴史的に天皇を非政治的存在としているのは日本人の偉大なる英知である。

 話が外れるが他国の元首である大統領が金銭的汚職とか非人道的なことをして国外追放される。共和制で、お金、武力、権謀術策を駆使して元首になった人物が国の象徴として誕生したら多くの日本人は尊敬の念を起こさないであろう。クリントン、毛沢東、スターリン等が好事例だ。さすれば日本は大混乱し永久に人心は安定すまい。日本は実に素晴らしいシステムを古代から創造している。世界に冠たる仁と忠恕の徳を備えた、生まれながらのお方が象徴として存在するだけで違う。天皇を神格化してはならないが人間としての努力と献身があり他国に比して尊敬に値する存在である。諸外国は心中羨ましく思っているのを知らないのは日本人。この天皇を悪用する方が悪いのだ。それは戦前は軍閥や政治であり戦後は大マスメディアとか進歩的文化人だ。

 横道にそれたが、カミ様にお祈りするノリトは祝詞と書くが清浄のために払えたまえ清めたまえの繰り返しである。カミの道には戒律や教義は無くひたすらカミへの畏敬と豊穣の感謝と繁栄への祈りである。一方、西欧の神、キリストでもユダヤ教でもイスラムでも天地創造をした唯一絶対神ゴッドである。仏教でも同様だが神道以外の宗教は必ず戒律を持ち信者に対して戒律を破ると煉獄とか地獄に落ちると脅している。これが他の宗教の本質である。キリスト教は歴史的に宣教師を尖兵として後進国を植民地化した。明治以降、日本古来のカミを西欧のゴッドと同様なものと、米国宣教師が誤訳してしまった。その為にそれまでの縄文以来の大和ことばのカミが持つ概念が消え去った。そして西欧的概念のゴッドと同様になってしまった。これは津田左右吉氏も指摘している。ここに現代の悲劇がある。戒律、教義のない神道は厳密には宗教に非ず、自然そのものであり、宗教法人に相応しくない。日本人は西洋神ゴッドと日本のカミを峻別して理解しなくてはならない。又、明治以降特に軍閥と政治が天皇という歴史的に非政治的な存在を国の発展途上で悪用してカミの道を誤解させ誤解を世界に拡散させてしまった。戦後は一部ジャーナリズム等に責任がある。日本人はこの事を確りと認識し誤解を世界に向けて解かねばならない。それには国民一人一人の自覚が大切である。

 昨年7月13日から靖国神社のみたま祭があった。思い立った私は妻と急遽上京し参拝した。質朴で、カミの道らしいものと誇りさえ抱いた。簡素、清潔、清浄、荘厳こそ日本のカミ様の姿である。日本のカミガミとは先祖の事でもある。私が死ねば徳永圀典命「ミコト」のカミとなる。これを他国の文化とか宗教意識で非難される筋合いは毛頭無い。

 日本は中国と異なり死者を鞭打たずの民族的歴史的な感性がある。死者は平等である。中国のように墓を暴いてまで死者を侮辱せぬ心情が存在する。我々の伝来の文化、信仰を他国から云々されるのはご免蒙る。

 米国のミアーズ女史はカミの本質を正しく洞察している。日本の伝統神事は肉体的満足の対象である食物、精神的満足を齎す自然美への感謝の儀式だと。日本の優れた伝統の本質を知って欲しい。日本人が黙っているのは民族としての矜持とアイデンティティの放棄である。これでは益々他国に馬鹿にされる。たかが戦後五十年で二千年の歴史を捨ててはならぬ。正しく日本国を学べと言いたい。
  

「W」平成14年5月23日 日本海新聞 潮流コラム寄稿 

神様の衣装箱               

旅についての見聞は神様の衣装から始めよう。神様の衣装のような風景は東北から語りたい。秋の十和田湖上とか発荷峠から見る周囲の絢爛豪華の錦秋は神様の衣装と言うしか表現を知らない。八甲田のブナの紅葉樹林の中で死ねたら私は本望である。ここは神様のしとねではなかろうか。紅葉は滅びの美という人もいるが、私にはこの世の極楽に思える。そう、奥入瀬の樹林でもいい。幾たびも歩いたが、感動と共に日本に生まれた喜びを感じる。中禅寺湖周辺の全山紅葉も見事というしかない。ここも神様の別の衣装に違いない。春の新緑は言うを待たない。新緑は命の蘇生と循環を思わせ、生命賛歌を叫びたくなる。十和田湖畔の林にて、早春のある日、妻のつぶやきを漏れ聞いた。

  みちのくの春はゆたかにひろがりて

キクザキイチゲひそと咲きおり

薄紫の控えめな可憐さがいとおしい。甲府は韮崎付近から見える、春の鳳凰三山の景色は神様の春の召し物のようだ。頭には雪烏帽子、身丈は赤い桃花模様、そして裾は萌黄の淡い緑色。日本ってこんなに美しい、と言って世界中に回覧板を回したい。黒部渓谷の衣装も神様模様だ。あれは普段着かも知れない、荒々しい仕事で擦り切れているようだ。京都は常寂光寺の黄一色の紅葉、これは神様が都会に遊びに出られたお洒落着なのであろう。京都と言えば洛北にある後水尾上皇の修学院離宮の豪華さも忘れられない。離宮正門近く、モミジの真紅の衣装は神様の何の衣装であろうか。日本の神様は衣装持ちのようである。神様の正装は文句なしに伊豆半島から見た富士山の麗姿であろう。ここは日本の神様が裃-カミシモ-の正装をしてお迎え下さる正面玄関である。そして奥座敷の箱根に案内して下さる。渡り廊下の十国峠から相模湾とか駿河湾を見渡して古代から多く歌われている。 

あめつちの 分れし時ゆ かむさびて 高く貴き駿河なる 
 ふじの高嶺を あまのはら ふりさけみればわたる日の 
 影もかくらひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行はばかり
 時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ 言ひつぎ行かむ  ふじの高嶺は


反歌 
たごの浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ 不尽の  高嶺に 雪は降りける


源実朝も政治家でなく歌人のほうが幸せであった人だ。

箱根路を越えさりゆかば伊豆の海や沖の小島に波の立つ見ゆ  

私も愚作をつくる。

片瀬なる岩場の海に黒潮が青く砕けて白く散るかも

伊豆半島付近の駿河湾も相模灘も海が実に明るいコバルトブルーで魅惑的であり一時期没頭した。将軍や殿様クラスの衣装は全国どこにでもあろう。

春はどこでも

長い冬を忍んで待ちに待った早春の3月、新緑を待ち兼ねて、山々に出かけるももどかしいような木々、散々に歩き回すも新緑はまだまだと疲れて帰宅する。一風呂浴びて庭の樹木をよくよく見れば、新芽や蕾は満を持して膨らんでいるではないか。春は枝頭にあって既に充分、これが早春の風景だ。それからつかの間だ。遠くに眺める森の梢に先ず、ぼやけたような薄茶色が霞む。それが次第に萌黄色となり、薄緑となり新芽がふいてくる。この頃の期待感は命の蘇りを待つ思いで私の最も好きな季節である。その前に桜前線が日本国中をあっと言う間に北上する。染井吉野桜もいいが、私には楚々とした風情に見える山桜が針葉樹林の中に控えめに咲いている姿を好む。群生しないのもいい。印象的には京都の保津峡であろうか、両岸のそそり立つ山々の斜面に垣間見える。桜と言えば伊豆の河津桜は2月に咲いて温泉情緒を高めてくれる。箱根桜の花の小ぶりもいじらしい。岐阜と富山県境に近い御母衣ダムの樹齢400年の荘川桜の物語は感動的である。岐阜の薄墨桜はなんとも言えない不思議な桜樹だ。東北は角館の土手桜、弘前城の爛漫たる桜花には圧倒される。お城や武家屋敷の歴史美が格調を高めている。京都は丸山公園の枝垂桜は夜が豪華で華やかだ。その昔、用瀬の我が家の大裏にあった老枝垂桜は、離れの新建で祖父や両親が楽しんだが間違いなく庶民の衣装だ。倉吉は打吹公園で妖艶な美人桜の花吹雪を浴びた。

   たおやかに 袖ひるがえす しだ桜  

忘れていた、奥琵琶湖は海津大崎の桜は一見に如かず。湖の船上からは更にいい。

「X」平成15年10月1日 日本海新聞潮流コラム寄稿 

外国国歌の歌詞

次は六ヶ国の国歌の歌詞を翻訳したものです。夫々どこの国か判定できますか。

1.「鍛えられし わがつわもの 攻めくる敵 討ち破り 断乎と守る 尊き国わが祖国に栄あれ。栄光の民よ 自由の祖国 結ばれしその誉れ 旗のかげで 導けよ勝利の為 進めよや」

2.「立て、奴隷となるな、血と肉もて、築かんよき国。立て!立て!立て!心あわせ、敵にあたらん、進め、敵にあたらん。進め、進め、進めよや」

3.「ゆけ祖国の国民 時こそ至れり正義のわれらに。旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり。立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん」

4.「おお神よ 我らが神よ 敵をけ散らし降伏させ給え 悪らつな政策と奸計を破らせ給え 神こそ我らが望み 国民を守らせ給え」

5.「おお激戦の後に 暁の光に照らし出された星条旗が見えるか 夜どおし砲弾が飛びかった後に、われらの星条旗が翻っている。自由な祖国、勇敢な家庭 星条旗をふれ 星条旗をふれ 戦闘がやんで微風が吹く中に 濃い朝霧の中 見え隠れしているものは何か これこそわれらが星条旗 神よ!星条旗をふり続け給え 自由の祖国勇敢な家庭の上に」

6.「君が代は 千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて、苔のむすまで」。

私は外国国歌の歌詞に興味があり長い間求め続けていました。みんな、血なま臭く勇ましい軍歌調だと痛感されるでしょう。血とか肉とか敵と戦えとか、血に飢えた敵とか、実に品位も無く戦闘的なものばかりの烈しいものです。こういう国家の方針の下にこれらの国民は国家に忠誠を捧げており、戦闘を薦められている。これでは戦争が絶えませんね。

日本の国歌の歌詞の、なんと平和でおおらかで悠久で格調が高く素晴らしいか、歴然と違うではありませんか。オマケに、君が代の歌曲は実はドイツで世界の国歌の評価判定会があった時に、君が代はその第一の秀歌に選定されました。明治になり日本古来の雅楽の旋律を取り入れて現在の曲としたものです。

この歌詞は、今から約1000年前、醍醐天皇が紀貫之に命じて編集させた日本最古の歌集「古今和歌集」巻第七、賀歌の部の第343番、読み人知らずとしてあります。「我が君は、千世にやちよに、さざれいしの いはほとなりて、こけのむすまで」がルーツです。長寿を祈り願う祝い歌として人々に広く愛唱されていったもののようです。上から強制して歌われたものではないのです。しかも、無名の民の歌です。わが君とはあなたの事で敬愛を込めた言葉です。君は広く対者を言います。
万葉時代、そして現在も皇居では毎年歌会はじめがあり、老若男女、地位名誉に無関係に歌を募集し、入選者は皇室に呼ばれる歌会がありますね、こんな庶民的な皇室は世界にありますまい。こんな素晴らしい日本の国歌は世界に誇りうるもので先祖の英知に感謝しなくてはいけません。君が代を軍国主義などという人間はどうかしています。外国国歌の歌詞を知らない無知極まりない愚かな人達だといえます。誇りを以って堂々と声高らかに歌っていい日本の国歌であります。

ついでに言いたいのは、誕生日の歌です。英語国民でもないのに、英語で歌うハッピーバースディの歌ですね、なぜ英語で祝わなくてはならないのですか、ここは日本国ですよ。私は全国各地のロータリークラブでも聞くことはなかったのに帰郷して、鳥取北ロータリーのメンバー時代に知りました。藤山一郎先生作詞の素晴らしい日本の誕生歌詞があるのです。曲は同様ですが、ご披露します。ここは日本です、大いにこの素晴らしい日本の誕生日の歌を歌って欲しいものです。「祝えや いざ 君の誕生日 いついつまでも健やかなれ」であります。英語の歌よりしみじみとした友愛の感情が伝わってくるではありませんか。

日本人の欧米かぶれはもう完全に卒業しなくてはいけないと思います。
(上述歌詞の回答。1.ソ連 2.中華人民共和国 3.フランス 4.英国 5.アメリカ 6.日本。)

「Y」平成16年7月1日日本海新聞 潮流寄稿 

「武士道」抄論

サムライというアメリカ映画がヒットしてから町の書店に武士道の本が沢山並ぶようになった。この傾向は日本人には、どうやら情けないが身についた、生まれながらのもののようである。欧米人に認められてから自分の国の持つ価値観に目覚める。ブランド物を買い漁る根性と瓜二つである。なんとも、いやはや、主体性に欠けることではある。それは、この国の持つ悠久で文明度の高い歴史を本当に学ばないからである。
さて、その武士道、明治時代に新渡戸稲造が滞米中に英語で書き下ろしてルーズベルト大統領を感動させ、日ロ戦争で資金不足の日本を支援させた原動力でもあった。それは世界の指導者階級を唸らせたからである。日本の武士道は元々、成文化されたものではない。然し、戦前の日本人には、精神的徳目として殆んどの人に婦人も含めて、大なり小なり内臓されたものとなっていたと思う。家庭でも学校でもいつの間にか教えられ身についたもので、日本人の道徳の光源なのである。
婦人は社会的な存在ではなかったが、妻或いは母として、最高の尊敬と深い愛情を受けていた。これは武士道と表裏の関係で、複本位制と理解すべきであろう。我々昭和一桁世代の内奥にはこのサムライ精神の片鱗が残存している。この武士道精神の凄さ、素晴らしさの故に明治維新以来、日本があっと言う間に欧米に伍することを得たと確信する。
それを知悉しているアメリカ占領軍が日本を二度と立ち上がらせないために武士道を「反動的で権力者のための御用道徳」と難癖をつけて禁止したのである。その占領政策が完全に奏功して日本は現状のような亡国的様相を呈してきたのである。
では、武士道とは何か、その本質は「精神的貴族」である。圀典流に纏めてみる。
一口では難しいが先ず浮かぶ言葉は「恥を知る」であろうか。「武士の情け」あるいは「渇しても盗泉の水を飲まず」「名を惜しむ」「卑怯であってはならぬ」「潔くあれ」「ウソをつくな」「弱い者をいじめるな」等を思い出して行くと、なにやら現代政治家やら国家中枢官僚に最も欠けているものばかりではないか。元々は師表に立つ武士の徳目なのである。
明治初期の指導者は欧米視察をして「英・米・蘭などは町人国家なり」と喝破して、道義国家日本としての矜持を高く持ち欧米人より精神文明度に於いて進んでいると自負していたのである。私は、先の戦争の開戦、戦争を和平に持って行かなかった大失敗、そして10年前のマネー戦争の完敗は何れも国家を三度滅ぼしたに等しいが、すべて政治家と国家中枢官僚に起因すると信じている。彼らのサムライ精神が欠如し現場感覚を喪失して机上論で対処したからだと確信する。現場感覚なきトップの企業は破滅または衰退しているのは市場経済の現代にも当てはまる。
名外相、陸奥宗光に見る如く、明治の元勲達は、幕末の死線を乗り越えた野性味溢れる現場感覚の分かる人たちばかりであった。戦ってダメとなると潔く方向を転換、その変わり身の速やかさが見事で颯爽としていた明治の元勲。
その元気の根源がサムライ精神である。
それは
@命をかけた使命感。A名でもない、利でもない。B自ら正しいと思う志の為に命を懸ける。C道義を第一義とする。これらが武士道という思想の根幹であろう
何をやるにも命懸け、責任の取り方も命懸け。命が懸かっているから自然と迫力が出る、勇気が出る。現代政治家の最も欠けている精神である。これが武士道なのだ。
その精神を言い換えると@仁でありA義でありB勇でありC礼でありD信である。
更に言い換えると@仁とは慈悲でありA義とは正しいことでありB勇とは義をなすことでありC礼とは思いやりでありD信とは誠である。

将に、人間至高のモラルであらう。最高の道徳でなくてはならぬ政治とは、このようなものに拠って立ってこそ国民の信を得るのである。

「Z」平成1613日日本海新聞 潮流コラム寄稿 


         鎮守の森

新年おめでとうございます。

神さびた古杉の林立する鎮守の森は森閑として、清々しく冷気もあり、緊張を覚えつつも、心に安らぎと平安を覚えます。森の奥に鎮座まします神様にお祈りを捧げられた事でしよう。

「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」 と西行も歌っています。

天地自然、万物に神が宿るという日本人の素朴で大らかな宗教心、連綿と続く、かたじけないという心情は民族の心です。日本人は2千年以上前からこの鎮守の森を心のふるさと、として鎮守の森に祭られている氏神様を代々守り続けています。

神道の基本原理は、村落共同体が夫々に神々を祭り自然を崇拝し豊作と永遠の繁栄を祈ることです。豊作と村の安全と繁栄を祈るのが神社の祭りで人々の心に村落共同体の一体感・連帯感を養ってきました。

ゴッドという一神教のイスラム教とかキリスト教とは違う日本の神様です。感謝の神であり一神教の神のように排他的ではありません。世界的に自然保護が叫ばれる現代ですが、日本人は2千年来自然を大切にしてきています。

山形県の月山神社に、漸く登りつめ大古杉の中に神さびた神社が見えた途端、霧が一面に立ち込めた事があります。神が現前されたような、神に触れたような感動を私は忘れません。

「神道の髄を見たるかみ社に霧立ちたるは神たちませる」 と思わず呟きました。

これは私だけではないのです。昭和24年世界的な歴史学者アーノルド・トインビーが初めて伊勢神宮を参拝した時の言葉があります。

「この聖地において私は、すべての宗教の根底的統一性を感得する」として、神道こそ地球人類の危機を救う地球宗教になると予言しています。「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。それは産業革命がもたらした、まぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである」と。

物質文明の避けられない災いを救う宗教であると言っているのです。神道の本質を突いています。社会学者エマーソンも「森の中に神聖がある」と言いました。

この鎮守の森、新幹線でもローカル線でも、高速道路を通っても、ああ、あれは鎮守の森だと思われる森が全国到る所にあります。単なる神社や森ではなく鎮守様は世界的に注目されています。日本の鎮守様は日本各地の中心で森と緑と水のシンボルといえます。水と緑は人間の「いのち」を支えるものであり、その水と緑を崇める神道こそ地球規模の宗教だと言ったトインビーの予言は立証されそうです。

私はこの「日本の原理」こそ21世紀の地球を救う宗教だと確信しています。欧州は放牧のために早くから原生林を失い人工植林に努めていますが、日本の社叢を見て、祖先の賢明さに敬意を表すると言った外人もいます。ギリシャのエーゲ海の色はキレイですが海は死んで魚はいません。森林がないからで、森枯れは海枯れです。朝鮮半島とか中国大陸には植福の思想がありませんから森林は伐採したままです。

森林が無くなると文明は滅びると言う学者もおります。中近東あたりもそうでした。かってナイル川を支えた豊かな森林は古代エジプト文明を築きあげましたが伐採が進み砂漠化しました。中国の黄河文明の延長線上にある現今中国も砂漠化が激しく進んでいます。

伊勢神宮は300年先の遷宮用ヒノキの苗を植えています。日本の植福の思想は生きています。21世紀最大の問題は世界の水不足で、食料の60%を輸入している食糧は水そのものの輸入であり、日本は水の輸入大国で既に外国で批判が起きています。

鎮守様が各村にあるというのは古代日本人の素晴らしい叡智であり大切に守り残したい日本人の精神拠点でもあります。新年にあたり改めて先祖の叡智を深く噛み締めようではありませんか。

「[」 平成17年1月3日 日本海新聞・潮流コラム寄稿 

神様は「森と水」

明けましておめでとうございます。
昨年のオリンピックで古代アテネの象徴であるパルテノン神殿を多くの方はテレビで見られたと思う。あれは、アテネという都市国家が紀元前432年に政治・経済・芸術のトップに立ったという政治的シンボルである。神殿と言うが、今や瓦礫の廃墟にしか見えない。

それに比して、日本の神社は鬱蒼たる森の中に佇んで、恰も生きておられるように思える。
全国各地、二千ヶ所あるという鎮守の森に日本の神様は、さながら静かに生きておられる。
伊勢神宮を初めとして、緑の森林に覆われたお社は生きた神殿であらう。伊勢神宮は毎朝、神様に捧げるお供え物の為に、千数百年前と全く同じ儀式、木を擦り、火をおこして調理する古式を、今なお同様な形態で運営している。供物は自給自足、塩、魚まで古式通りに自前で生産・収穫する。こんな国や神社は日本だけで世界にはない。

「伊勢神宮の力強い自然の中に本当の日本を感じた」と言ったのはフランスの若いエリートである。
簡素美を極致に表現した伊勢神宮を初めとする神社も森も日本を象徴する根源的実在である。宗教的悟得の感動は、所詮は言語では語り尽くせず、もどかしさがある。原典を調べたり解釈してもその深奥に到り得ないものがある。神道には他の宗教のような言語体系はないが、日本人の日常生理の中に恰もDNAの如く組み込まれ、ダイナミズムが存在していると思える。

神道はお祓いにより日常の罪障を洗い流し、再び清浄に立ち返る再生と復活であり、神社で行う、二礼二拍手一礼は浄化独特の手段だと私は思う。
人間は水が無くては一日たりとも生きられない。その水を育むものは緑、森林である。日本の神様は清浄を最高とする。清浄は水が齎す。

私は日本の神様の原理が、日本の原理でありそれは「緑と水を崇める」ことだと思っている。地球人口激増の為、大規模開発で深刻な水不足、排ガスによる温暖化が深刻化している。中国の黄河は干上がり、米国、インド、中央アジア等、世界的に地下水が枯渇している。アルタイ湖は数年以内に干上がるという。
そこで、「緑と水」を大切にする神道が「生命」を救う原理であり信仰だと外国では気づいてきた。当然であろう。森の消滅は文明の消滅であることは歴史が証明している。

世界的歴史学者トインビーは神道を高く評価し、「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。それは産業革命がもたらす、まぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである」物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っているのだ。

ドイツの植物学者ヒューセン博士は「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人口植林に努めている。日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。

伊勢神宮は過去千数百年間20年ごとに遷宮してきたが、今も300年未来の遷宮用檜・杉の植林を行っている。悠久の古代より連綿として続けているこの事実こそ、「緑と水」と「生きている日本の神様」を示し、大いに誇って良い大文明なのである。自然を愛する事が無意識ながら我々に血となり肉となって流れている。これは21世紀の世界にとり、極めて示唆に富む、価値あるもので、これこそが日本文明の日本文明たる所以であり大いに誇りにしてよいのである。

「\」平成16年5月10日 日本海新聞 潮流コラム寄稿

砂漠の神

1.
砂漠の神とは、唯一神教のことで、旧約聖書の預言者、アブラハムの一神教であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教などである。唯一絶対神で他の神々を排除し、その存在を認めない。 砂漠の宗教とも呼ばれ、これら一神教発生の背景に中近東の過酷な自然がある。砂漠の民は生きる上で、明日の十円より今日の一円であり、持てる者から貰うのは当然の民族性がある。他の神々とは他民族の事とすら思える。
ローマ法皇が数年前に、この二千年間で初めて、過去にキリスト教が行った歴史的な迫害を認め謝罪した。欧州の民族大移動、十字軍など、言葉はいいが、実態的には、他民族の侵略に外あるまい。同様に、米国の西部開拓の言葉など、正義づらの雰囲気だが西部侵略に等しい概念にすら私には思える。

現今中近東諸国の抗争を見ると、本当に人間とは哀しい、なんと言う愚かな存在だろうとさえ思える。殺し合い、せめぎあいは絶えることがない。個別の事情は理解するが、何とかそれを乗り越えられないものかと思うのは当然だ。

乗り越えられないその背景にこの唯一絶対神の宗教原理があると私には思える。一神教が異教徒を殺してよかったのは歴史的事実である。勿論現代は、そのような事は言わない。然し、信仰の自由は当然だが、このような一神教の原理では、抗争は途絶えることなく連綿と続くのではあるまいか。目には目を、歯には歯をだからである。テレビなどで見ると、どうしてあの国の人達は自分たちの国の為に心と力と手を合わせて住みやすいように、この際、宗教宗派意識は別にして生活安定の為に立ちあがらないのかと不思議に思う。

自分の立場を越えなくては全体の安定には決してつながるまいに。彼らの汗して働く姿が映らない、してもらうだけのようにさえ見える。日本人なら自らの立場を越えて団結するに違いない。そのような民族的、風土的なものが日本には存在し危機的状態には宗派、思想、イデオロギー等を超えようとするに違いない。

2.尊敬する哲学者、和辻哲郎の名著「風土」から引用する。

“砂漠における遊牧人間は自然の恵みを待つのではなく、能動的に自然の内に攻め入って自然から僅かの獲物をもぎ取る。これは直ちに他の人間世界への対抗と結びつく。自然との戦いの半面は人間との戦いである。この戦闘様式は古代から常に砂漠的人間の特性である”“部族の敗北は個人の死であり、各々は極度に力と勇気を発揮しなくてはならず、感情の温柔さを顧慮する暇のない不断の意思の緊張、即ち戦闘的態度が不可欠である。”と。

一神教の本質を鋭く喝破している。この民族の精神的特質、思考、宗教、国家制度など全て砂漠民族の生活条件から生み出された過酷なもので、温暖な環境で育つ我々には想像を絶するものがある。

3.日本の土着信仰は「カミ」である。私は、唯一絶対神、即ちゴッドと弁別するために日本の神をカミとする。一口で言えば日本のカミは、森羅万象への感謝のカミである。日本の自然は温和で、四季もあり湿度も充分あるから30年経過すれば禿山も放置のままで完全に森林は復元する。だから、砂漠に何千年生きてきた人間と大違いの民族気質、慣習、伝統が生じてくる。有難い風土の日本である。

日本人が優しいのは、この風土の産物である。見るがいい、日本猿の可愛いこと、蜘蛛でも、亀でも、魚でもこの風土に適応したものは一律に温和なことが分る。熾烈な環境の砂漠や熱帯地方の動植物の原色とは大いに違う。だから、外国の動植物ゃ種を日本に無闇やたらに入れると、土着のか弱い動植物は弱肉強食されて絶滅の危機に瀕する。

これは人間社会とて同様で、昨今の国際経済・政治情勢とよく似ている。これらから、元来日本人の本質は島国でもあり、平和共存である。故に土着の信仰であるカミも森羅万象、大自然の恵みに対する感謝の宗教となっている。日本のカミには砂漠の神のような敵対的なものはない。これが日本の基礎原理であり、私はこれらを含めて「日本の原理」と呼んでいる。

「]」平成1514日 日本海新聞潮流コラム寄稿 

神様と市場経済

ここまでに至った経済も今年が剣が峰となる。
日米経済の支配原理の違いは、日本のカミ様と西洋神ゴッドとの相異だと喝破する。米国9.11テロは狂信的イスラムの仕業、イスラエルとパレスチナとの眼には眼をの終わり無き憎悪。米国流経済が普遍的モデルのように日本を席巻、外資系は日本の金融機関ならやらないアクドイ法律違反をして荒稼ぎする。堪りかねた金融庁が時に行政処罰をするが荒儲け絶対主義の外資。この様な市場経済が人間の幸福に大きく貢献するのか甚だ疑問。

日本には「君子財を愛す、これを取るに道あり」と経世済民の思想と志から経済という言葉が生まれたように、国を治め民を救うという哲学があった。外資系は目先の利益の為に巨額の株、為替の空売りをし発展途上国の矛盾とか隙をくぐり平気で一国を破綻させる。数年前、タイ国を筆頭にインドネシア、マレーシア、韓国と実に経世済民の思想から程遠い手法で一国を混乱させ国民を酷い目に会わせ荒稼ぎ。日本も例外ではない。マネーと情報を占有し政治的、意図的、狡猾的、覇権的に市場をコントロールし儲ける仕組みに見える。
米国格付会社は、エンロン、ワールドコム等に破綻直前まで良いランクを与えていたが粉飾も見抜けなかった。かれら社長のブッタクリのような年俸80億円など珍しくない。模範と言われた米国企業会計もあのザマではないか。現今米国の巨大貿易赤字、財政赤字を格付けにどお評価しているのか。米国は2兆3千億ドルの対外純債務のある世界最大債務国、貿易収支は年間4千億ドルの赤字が常態、この破綻的状態は知らぬ顔だ。ちなみに、日本は約200兆円の世界一の純債権国。外貨準備は4千600億ドルと世界最高。米国格付基準はダブルスタンダードであり視点に大矛盾がある。
日本としては米国との同盟が最も安全だがクリントン時代、ウオール街のマネーがわが国経済を破綻的にさせた端著は力関係にある。元財務大臣のルービン、サマーズ等は米国資本の代弁者でIMF、世界銀行と絡んでいる。その後ルービンは米国の名だたる金融資本の会長に戻った。日本では考えられない政経一致である。0.1%の富豪が国富の36%を持つ過激な米国式経済に疑問を抱く。

経世済民の思想による経済運営が人間の幸福により大多数が近づける。
なぜ簡単に日本型資本主義を放棄したのか。そうは言うものの、日本の資本は確かに柔軟性、流動性、創造性に欠け競争原理に適応していないのは事実だ。
市場経済の弱肉強食とは、敗者必滅で敗者は例外なく貧困に喘ぐ事を忘れまい。

イスラムはイスラム教、イスラエルはユダヤ教、そして、アングロサクソンはキリスト教。唯一絶対神は異教徒を迫害する歴史を有する。彼等は眼には眼で、相手が徹底的にダメージするまでやる。
日本のカミ様は自然崇拝であり感謝の神であり本質は
森羅万象共存の精神でありゴッドと根本的に違う。
アングロサクソン、特に米国主導の市場経済は唯一絶対神的なゴッド流だ。一神教民族は排他的独善的で異教徒を徹底的に弾圧したのは歴史が示す。テロは断じて許されないが中東の現状、米国市場経済の在り様を見るとそう思える。

どおやら、地球規模で見られる矛盾、地域紛争、環境、悪化、宗教問題抗争などは凡て西洋文明の原理から生み出されている。

日本のカミ様は自然崇拝で森羅万象すべてにカミを感じて尊敬し平和的である。地球に存在するすべて、存在そのものを受容する。この心、凡ての存在を敬の対象とする日本の
カミこそ人類を、世界を或いは地球を救済できる究極の原理だと思う。
昨年、親日派の為の弁明を出版した韓国人、金ワンソプ氏も言う
「日本の神道は人類が作り出した最も理想的な形の宗教だ」と。冷静に世界の現実と、ここ5百年の白人中心世界史を広く見れば確信的にそう思える。

この日本の神の心が
21世紀の主たる精神原理とならねば人類は救い難いのではないか。日本人よ、正しい国柄を学んで誇りを取り戻そう。 

「]T」平成17年10月1日 日本海新聞 潮流コラム寄稿 

風土 

ノーベル賞創始者ノーベルはダイナマイトを発明して巨万の富を築いた。火薬のダイナマイトがなぜ巨大な富を齎したか。欧州は氷河に削られて岩盤が露出し、破砕しなければ住宅も耕作も不能であった。欧州の北緯はロンドン51度、パリー49、ノーベルのオスロは60度、樺太の北海域と同様である。東京36度、札幌44度、いかに欧州が北に位置するか。太陽のイメージある南欧、モナコ、ローマ、ナポリも北海道辺りに過ぎぬ。欧大陸や北アフリカは岩盤や砂漠だから地中海に微生物が注がれず魚介類が貧困。日本近海の魚の美味い秘密が分かる。日本の主要都市はエジプト・カイロ等の北アフリカ圏の緯度だが、あちらは雨がなく砂漠地帯。

世界には砂漠・草原・森林・灼熱・極寒・熱帯・温帯と様々な国がある。日本はサンサンと太陽が注ぐし、抜けるような冬の青空もある暖温帯。ロンドンの冬はスモッグで陰惨に近い冷温帯。その上、日本は多湿であるから緑は豊富、大地は堆積土であり稲作に適し、四季もあり人間の住む環境として誠に恵まれている。 

彼我、この違いある風土で何万年も生きておれば、大きな格差が人間の気質や肉体に生じる。イスラム教・キリスト教・ユダヤ教は過酷な環境から生まれた宗教。砂漠では立ち止まっては餓死する、移動し食物を求め生きて行く狩猟・移動牧畜が生活の基本。星辰を頼りに人間の群れは一人の力強いリーダーに従うしか生きて行けない。 

ここから彼らの原理が生まれる。砂漠で生まれた宗教は唯一絶対神、異教徒を排し、絶対の信仰を捧げ、歴然たる排他性、差別性は歴史に記録されている。

彼らの神々は血の滴る生贄をお好み召さる。清浄と新鮮野菜を好まれる日本のカミとは大違い、神に民族の本質が現われる。 

所詮、人間は風土の産物。彼等は農耕で食べられないから、海賊行為、他所からの略奪で手っ取り早く幸福を掴む。

京大元教授、会田雄次氏は「彼等は略奪が最も一番豊かになる方法で、優秀な人間がやる企てであると考えていた。英国の王家は先祖が海賊であった事を誇らしげに宣伝している」とまで言う。

狩猟民族は動物の捕獲に、罠とか囮をかけて騙して捕え、おびき寄せる技術に長ける。彼らのマネー、市場経済原理と同根。牧畜・遊牧は絶えず動物を殺して食べ、血を見て暮らす生活。

日本人は家族同様の牛を明治以前は食べなかった。クジラを食べるのが残忍で牛を食べるのは残忍でない彼等の発想。獰猛、残忍性はこの過酷な環境で生きてきた証し。

英語・中国語は、主語の次に動詞が来る、これは行動性を示す砂漠の民の証し。日本語は最後に動詞で締めくくる。

世界の富を求めてコロンブス以降の白人が世界に進出、19世紀は日本以外は殆ど植民地と化し本国は栄耀栄華、白人以外は人間種に非ずと、どれ程の黒人を虐殺し黄色人を差別したか。その白人に敢然と立ち向かったのが明治の日本人。

日本は、このような非文明の欧州に憧れすぎて、世界史は欧州から始ったような教育を明治以降進めてしまった。

米国建国時、星条旗の星の数は13州、今や50州、これは侵略による併合の証拠。歴史は国により相反する理解があって当然、米国の初代大統領ワシントンは英国では領土を奪った人間として教科書に書かれている。それに対して互いに何も言わない。国の歴史を相手国の主張通りにするのは属国か植民地になる事と同様、民族に対する重大な背信である。

この五百年間、白人の物質・物量思想、私は「西洋の原理」と呼んでいるが地球生態的に最早や限界に達しつつある。眼には眼をの復讐思想、これは唯一絶対神の原理であり、有史以来のイスラエル・パレスチナ紛争は到底治まらない。両国の戦争孤児を日本が引き取り共に育て、手をつないで遊ばせ、平和の尊さを無為自然に体験させているやに聞いた。日本しか出来ない素晴らしいことである。砂漠の民は水が無いから日本人の様に怨念を水で流し和を創るのを知らないのであろうか。人間とはまさに風土の産物である。

                   以上

[]U] 日本国や神社に感動した外国人発言集        

「1」 メーソンというアメリカ人――1879-1914

 
彼は神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理で、よりよく現代生活に適し、儒教より内面的、哲学的、かつはるかに深遠で更に西洋文化よりすぐれていると言いました。

2」 イギリス貴族のポンソンビー1878−1937

皇室の尊厳に憧れ京都に住み、生活の凡てを日本式とし京都御所には土下座で遥拝しました。かれは日本で神を見た英国貴族といわれた。


3」 元フランス大使のクルーデル

私が決して滅んで欲しく無いと願う世界の中の一つの民族は日本だと。

「4」 米国のウエスト博士

日本の天皇を憧れ「私は絶海の孤島の漁師でもいい、山間僻地の百姓でもいい、日本人になり天皇陛下にお仕えしたいと。


5」東京裁判のウエップ裁判長は

「天皇は神だ、あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなくてはできない」

「6」
オーエンラチモア

「日本が立派にやりとげたことは、アジアに於ける欧米植民地の十九世紀的構造を破壊したことであった」と。大東亜戦争の意義を讃えました。太平洋戦争とは私もいいません。これはアメリカに都合のいい言い方なのです。

7」オランダ国 アムステルダム市長

「日本は各地で侵略戦争をしたとペコペコ謝罪していますが、間違いです。あなた方こそ、血を流して、アジア民族を解放し、人類最高のよいことをしたのです。本当は白人が悪いのです。日本は敗戦しましたが、アジアの解放は実現しました。日本軍は欧米諸国すべてをアジアから追放しました。その結果、アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて堂々と胸をはって、その誇りを取り戻すべきです。」

8」英国人ビッケン名古屋商科大学教授

「キリスト教文化は、科学、哲学、産業革命を生み出し現在の経済中心の世界を作り上げた。だか、ユダヤ、キリスト教を中心とする宗教は、闘争に明け暮れて、疲れ果てている。これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。自然と人間、人間と人間の調和・共生を求める日本の古神道に帰らねば人類は救われない」

「9」
 韓国人 金ワンソプ氏--親日派のための弁明より

私の個人的な意見を言うなら、日本の神道は人類が作り出した、もっとも理想的なたかちの宗教だ。」

10」 フランスのエリート
「十数年前フランスの若いエリート達が伊勢神宮を見て自国の聖地は伊勢神宮程の精神性は無いと言った。他の学者も伊勢の荘厳、森厳の静寂に宗教の根源的なものを感じた。」

「11」 アメリカ女性歴史学者 ヘレン・ミアーズ

「日本の伝統神事は肉体的満足の対象である食物、精神的満足を齎す自然美への感謝の儀式だ。」


「12」
 日本に宣教師ザビエルが来たのは足利時代
ザビエルは記録に残している。
「日本人たちは、キリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと思われる特質を持っています。それは武士たちがいかに貧しくても、そして武士以外の人々がどれほど裕福であっても、大変貧しい武士は金持ちと同じように尊敬されています---。武士以外の人々は武士を大変尊敬し---。そして、日本に来るなら、真の謙遜が必要」。

「13」小泉八雲
「日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、山川草木から井戸、かまどにいたるまでそれを司る神を見る。日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。神道とは、その祖先崇拝の思想で、死ねば霊となって子孫と国を守ると考える」

14」 ポルトガル人・モラエス  1854年--1929年

「日本には西洋世界に無い、他人を疑わない人情味あふれる人間関係がある。平和で優美な日本の環境のとりことなった。」

15」 フランス作家 オリヴィエ・ジェルマントマ  

「日本の霊性に感動した、その霊感から発する日本の文化、芸術、文学を愛し溺愛する。私は師であるアンドレ・マルローを那智の滝に案内した。その時、マルロー師は叫んだ、滝の中にアマテラスを見た、と。神聖とは何かを日本でつかんだと話された。神道の中に神聖を体感されたのである。」


「16」 米国オハイオ州 
コーイチ・パリッシュ氏  ワシントン州「神ながら神社宮司」

「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。神道はわれわれ地球人にとって必要不可欠で
「人類の宝」と確信する。」

17」アーノルド・トインビー
トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」
物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っている。

「18」アーノルド・トインビー
昭和42年に来日した歴史学者トインビーは、真っ先に伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、「すべての宗教の基底になるものが伊勢神宮にあると感じ」毛筆で神宮に記帳した。

「19」
社会学者エマーソン
「日本の神社、鎮守の森の中に神聖がある・・・・・」

「20」
ドイツ植物学者ヒューセン博士
「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を
補うために人口植林に努めている。日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と神道の鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。

21」アルベルト・アインシュタイン博士
1933年来日した時の発言、「世界を驚かせた近代日本の発展は、一系の天皇を頂いていることにある」と分析し「戦いに疲れた世界が求める未来の盟主は、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古くて尊い家柄である天皇家を頂くアジアの高峰、日本である。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と絶賛した。

「22」
サミュエル・ハンチントン教授ーー文明の衝突の著者
世界には西欧文明、イスラム文明、中華文明など沢山の文明があるが、日本は独自の文明を形成しており、中華文明のなかには含まれない。と分析している。

「23」
詩人のポール・クローデル
1943年、日本の敗戦が濃厚になってきた時である、パリーのある夜会で詩人のポール・クローデルー元フランスの駐日大使ーの言葉は有名である。
「私がどうしても滅びて欲しくない一つの民族がある。それは日本人だ。あれほど古い文明をそのまま今に伝えている民族は他にない。日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとってし不思議ではない。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急速に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はない。しかし、日本にはその資格がある。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのだ」クローデルは、こう述べた後、ポツンと付け加えた。
「彼らは貧しい。しかし高貴である」


24」H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

「25」
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

「26」
ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」(十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )
「27」
バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所)

「28」ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)
日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)


29」ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))
 ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させる
という彼の最終的な目的を達成させた。

30」ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略) さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256〜7ページ)

「31」
ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)
すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁)

32」ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略) インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。


33」オランダ・アムステルダム市長の発言全文(日本傷痍軍人を前にして) 

「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私どものオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝ったはずなのに、貧乏国になってしまいました。

戦前は「アジア」に大きな植民地(ほぼ現在のインドネシア)があり、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。あなた方の日本国は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけたと、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すという人類最高の良いことをしたのです。

 何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先のことのみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ちあがったのが、貴国日本だったはずでしょう。

本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わってのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。

自分を蔑むことを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」 

 * このアムステルダム市長の挨拶文は、現地で直接聞かれたのは、元憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎氏(平成9年3月14日逝去)です。(ゴジラズワイフは交流がありました。)そして文章は、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が1994年3月24日に作成したもの。

[]V] 日本の神様は地球・人類を救う環境保護神

 世界・人類へ告ぐ 大宣言   
  
         
日本の神様は地球・人類を救う大神さま 
日本の神様は

1. 
人間に幸せをもたらす森羅万象の偉大なものを神として崇めます。
 (自然崇拝)
 

2. 
人間の幸せを築いた古代の偉大な人物も神として崇拝します。
  (先祖の祭り)
 

3. 
森と水は人間や万物の命を育てる元として、こよない感謝の対象とされています。   (森林は万物の命の水と酸素を育成)
 
   4.
 日本の神様は、自ら働かれ神様の先祖の天照大神(女性)は、機織されていた。
 現在も天皇自らが田植えされ、皇后が養蚕される伝統が現在も続いている。
 働くこと、手を使うことは日本の美徳です。  (労働は日本では欣労)
 

5. 
森の中のお
(やしろ)に鎮座されて、簡素・質素を旨とされ地域や住民を護られ見守られています。
 (勿体無い精神、大地の保護)
 

6 
水は生命の元であり、その清浄・清潔を大切にされ「ハラエタマエ・キヨメタマエ」  を祈りの言葉とされています。
  (清浄清潔は健康の基本)

7 
一般庶民も死んだら、どなたも神となり「
(みこと)、または(みこと)、ミコト」と 呼ばれます。
 (先祖の祭り、人間の平等性)
 

8. 
日本の神さまは、限られた地球の資源、人類の生存にはなくてはならない普遍的な原  理が潜んでおります。これは
21世紀の地球・人類生存の不可欠な原理と言えます。
 (人類生存の普遍的原理)
 

9. 
日本の神さまこそ、世界の人々がその精神を大切にしてよい素晴らしい人類生存の原理と言えます。環境保護の大神さまと申せます。
  (21世紀の人類に不可欠な自然環境保護の大神)


                    平成18年4月1日     徳永日本学研究所 代表 徳永圀典


 「]」 宣言「日本の神様は地球保護神」 日本海新聞 潮流 寄稿 平成1919

古代から八百万の神々や大自然の偉大な働きを考えて「我々の身体は地球からの借り物」という日本人の思想は科学的に正しい。身体の凡ての元素は地球からの借り物で、我々は一定期間地球に存在したら身体をすべて地球や宇宙に返還する。

21世紀は、「生命の元の親」であるその地球に感謝し自然と共に生きるという日本的存念が世界人類に必要になってきた。

その思想の根幹にあるのが神道である。森の中で祈ることを日本人以外は考えつかなかった、森こそ生命の泉であり神である。人類の文明とか歴史を回顧すると、森の在る所、必ず文明は興り、森を食い潰した時、その文明は必ず滅んでいる。
日本は縄文の太古より
21世紀の現在まで国土は深い緑に覆われて、いよいよ栄えている。それは日本民族が古代から自覚の有無に拘らず神道が血となり肉となって森との共生・共存の思想で生きてきたからである。日本の原理即ち神道は森の原理と言える。

これに対して西洋の原理は物質主義に根ざし、大量生産・大量消費の思想を生み自然破壊を招いた。西洋文明は原理的に自然征服・破壊の欲求から生まれた荒々しい文明で、現在の地球環境破壊の思想的元凶である。現在の地球環境破壊は五百年にわたるこの西洋原理が破綻しつつある事を示す。
このような視点から帰納して行くと、日本の神様はまさに地球環境保護の大神様と言える。この日本の神様の原理こそ
21世紀の地球・人類の幸せを守る普遍的原理であると世界を啓蒙し周知せしめたいと切に願う。自然と環境に優しい神道こそ、世界を救う地球宗教だと我々は自信を持たねばならぬ。

世界的歴史学者アーノルド・トインビーが伊勢神宮に参拝して「この聖地に於いて私はすべての宗教の根底的統一性を感得する」と感動し毛筆で署名した。神道こそ地球人類の危機を救うと、人類の大英知トインビーが予言した事に日本人は矜持を持ってよい。

そこで新年にあたり、私は「日本の神様は地球環境保護神」だと宣言する。以下はその精神内容である。

日本神道は

@人間に幸せをもたらす森羅万象の偉大なるものを神として(あが)める。(自然崇拝) 

A 人間の幸せを築いた古代の偉大な人物も神として崇拝する祖先崇拝の思想で貫かれている。この敬神崇祖が神道の基本。(先祖崇拝) 

B 森と水は人間や万物の命を育てる元として、こよない感謝の対象とする。(森林は万物の命の水と酸素を育成)

C太陽は全生命の根源、その化身の天照大神(女性)は自ら働かれ機織(はたおり)された。天皇自ら田植えをされ、皇后も養蚕される伝統が続いている。働くこと、手を使うことは日本の美徳。(日本の労働は欣労(きんろう)) 

D森の中のお(やしろ)に鎮座され、簡素・質素を旨として地域や住民を護見守られる。(大地・住民保護)

E水は生命の根源であると共に清浄・清潔をもたらす、「ハラエタマエ・キヨメタマエ」を祈りの言葉とする。(清浄清潔は健康の基本)

F人間は死ねば、誰でも神となり「(みこと)または(みこと)」と呼ばれる。(先祖の祭り、人間の平等性)

Gもったいない、簡素を旨とし、平安・豊穣を祈り、人間に素朴な健康生活をもたらす。 (資源尊重)

H和魂(にぎたま)は穏やかな心で人間に自然の恵みを教え平和に導く。(平和共存の原理)

I日本の神様は大自然の心にかなう地球・人類生存の根幹原理そのものである。(人間は宇宙の一部)

(鳥取市)鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典