. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデの生涯」 に学ぶ : 第61講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「一方、ハギテの子アドニヤは『私が王になろう』と言って、野心をいだき、戦車、騎兵、それに自分の前を走る者50人を手に入れた。―彼の父は存命中『あなたはどうしてこんなことをしたのか』と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。その上、彼は非常に美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった。―」.                          列王記第一・1:1〜14

■ 井戸を掘りましょう:

. .アドニヤはダビデの第4男でした。長男のアムノンは義妹を辱めたと言うことで、3男のアブシャロムに殺害されました。その出来事を契機としてアブシャロムはダビデに背きました。それから程なくしてからのことだったでしょう。この章には4男ハギテの謀反が記されています。ダビデの晩年に次から次へと襲い掛かってきた不幸の数々です。

. .それにしてもアドニヤに関して、彼の父ダビデは「心を痛めたことがなかった」と記されています。優等生の突然の変身でした。素直だった子どもが、中学、高校生となって、突然親に暴力を奮うようになるというのは、現代においてもしばしば経験する事柄です。文明やそれに伴う生活形態の変化はあっても、人はその本質において少しも変っていないことを教えられます。

. .聖書によれば、人はすべて「アダムの子孫」であって、アダムが犯した罪、彼の創造主である神への反逆以来、アダムの子らの心には、神への反逆が原罪として住みついているのです。普段は、心の深みに潜んでいても、いつかそれが行動となって姿を現します。ローマ人への手紙1章の後半に描かれている罪人の姿は、アダム以来の肉の性質が猛威を奮った時に、人はどのようになるかを教えているのです。「私はこのような罪人ではない」というのは、表面的な行動においてであって、心の深みにおいては誰しも、同じ傾向性を持っているのです。それがアダムの子らにとって、生まれつき持っている不可避的な方向性なのです。

. .キリストが贖いを成し遂げ、天に昇って、教会に注いでくださった聖霊なるお方が、肉の心に代わって私たちの心を支配するようになるまでは、人は神に背き罪を重ねてゆきます。ある人は行動において、ある人は内心において、、、です。

. .このような状態から釈放、解放をもたらしてくださるのが私たちの主イエス・キリストなのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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