「21世紀を視野に入れての 国外宣教局」

第52次年会教役者会・講演:1997/ 3/28(木)


     序 文:

  イザヤ書には、宣教者パウロがローマ人への手紙の中で引用した有名なことば、「良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、『あなたの神が王となる。』とシオンに言う者の足は。」(イザヤ52:7)ということばである。メッセンジャーは、良い知らせを伝えるために、広く諸処を歩きまわらなければならない。それ故「足」が強調されている。
  「人は年を取ると、その衰えが先ず足にでる。」と言われている。第52次年会教役者会のテーマとして「21世紀を視野に入れての国外宣教局」という題を与えられた時、私の心にふと横切った思いはそのことであった。創設50周年の年を記念し、それから更に、1年2年と歳月を積み重ねてきているIGMの現状、殊に、直接献身をする若い兄弟姉妹方の少ない状況、それに伴う宣教師候補の人材確保の困難な現状を考えた時、この思いが私の心を通り過ぎたのである。私個人の危惧に過ぎなければよいが、と願うものである。
  さて昨日、国内宣教局長によって「21世紀を視野に入れての国内宣教局」とのテーマが語られた。今日の務めを果たすにあたって、昨日の講演をじっくり学んでから準備に取りかかれたなら、より一層意義深かったであろう。更に「21世紀を視野に入れての国内宣教局」ということに止まらず「21世紀を視野に入れてのIGM」というテーマで、どなたか指導者が語ってくださった上での、今日のテーマに従っての展開であったなら、なお意味があったであろう。「21世紀を視野に入れての国外宣教局」とのテーマは「21世紀を視野に入れてのIGM」の明確な展望、ないし、理解なしには、空論に終わる危険がおおいにある。
  それで、大変僭越であり、私の立場では不可能に近いことを試みようとしていることを自覚しながら、先ず第1に、今日のテーマを展開するための不可欠な土台として「21世紀を視野に入れてのIGM」について先ず語らせて頂きたい。

     T. 21世紀を視野に入れてのIGM
     U. 21世紀を視野に入れての国外宣教局

  T.  21世紀を視野に入れてのIGM

  A. 21世紀という未来は過去の土台の上に成り立っている。それ故、未来を見つめるためには、先ず、過去に目を向けなければならない。過去の基礎のない処に将来を築き上げようとすることは愚行である。

  そこで、ひとつの運動が初発以来50年余の歳月を経過した時、その運動にどのような状況、課題が生じうるものかを見るために、私たちが、聖書の真理の歴史的展開の模範としている18世紀のメソジスト運動に目を向けてみよう。
  勿論、それぞれの運動が展開されつつあった時代、運動の中心人物、それが置かれた文化環境、その他の諸条件は、それぞれ異なるゆえに、単純な比較は戒められるべきであることを十分考慮しなければならない。初期メソジスト運動とIGMの場合、異なる面があっても、その掲げる理想・理念、また、組織・制度が類似しているので意味なくはないであろう。

   1.  ウエスレー兄弟の指導のもとに展開していったメソジスト運動は、その始まりを1738年のウエスレー兄弟の回心の経験に遡ることができる。ある人々は、それより前の1729年のオックスフォードにおいて「ホーリー・クラブ」が組織された時代、「メソジスト」という名称の発祥の時代、にその始まりを求めるべきであると主張するかも知れない。

   2.  1738年を基準とすれば、その50年後は1788年、1729年からと考えれば、1779年になる。
  アウトラーによると1765年から1791年が、ウエスレーの生涯の「後期ウエスレー」時代と区分されている。ウエスレーの活動開始以来、約50年間にイングランド、アイルランド、スコットランド、ウエールズ、そして、新大陸アメリカにおいて、力強く展開・発展しつつあったメソジスト運動は、この1779年から1788年、更には、1791年に到る10年余りの期間にどのような中を通っていったのであろうか。

   3.  ひとつひとつの出来事の意義を究めることはしないで、只、何が生じていったかを書き綴ると、次のような出来事が目につく。
     a. イギリスの植民地であったアメリカの独立戦争の勃発が1775年。独立宣言が布告されたのが、言うまでもなく、1776年7月4日である。しかし、戦いは1783年までの8年間にわたって継続した様子である。アメリカ合衆国の英国からの独立の結果、メソジスト運動は、アメリカにおいて組織上の変化を余儀なくされた。そして、その変化は、英国側にもやがて波及してゆくこととなる。
     b. 1784年2月28日「メソジストと呼ばれる人々の年会に関するジョン・ウエスレーの宣言と任命」という文書に署名がなされ、同年3月には、これが法律的に効を発している。いわゆる「100人の年会員」(The Legal Hundred)の設置であり、ウエスレーなき後の集団指導体制への布石であった。
  この「100人年会員」には、ウエスレー兄弟、トーマス・コーク、ジェームス・クレイトンという4名の英国国教会の教職者。クリストファー・ホッパーを頭とする30年以上にわたって伝道・奉仕に携わってきた5名の「ベテラン」たち。そして、20年から27年の巡回奉仕の経歴を持つトーマス・ランキンたち16名。更に、10年以上20年以下の若手の説教者たち、36名が名を連ねている。記録によると、最初に指名された「100人年会員」の47%は、巡回奉仕暦10年以下という若年の説教者たちであった。
     c. リーダーの召天がこの時期に集中している。ビンセント・ペローン(1785年5月)、ジョン・フレッチャー(1785年8月)、チャールス・ウエスレー(1788年3月、80才)、そして、ジョン・ウエスレー(1791年3月、88才)といった具合である。ジョン・ウエスレーにとっては、後継者として目していた若きフレッチャーの、自分に先立つ死は大きな痛手であった。勿論、フレッチャーは、死に先立って、ウエスレーの後継者としての重責を引き受けることができない旨を既に表明していた。ウエスレーは、こうした状況の中でメソジスト運動の将来を見直さざるを得なかった。
     d. 参考までに、1787年、マンチェスターにおける年会の議事録(1862年発行)では、メソジストの会員数は、ヨーロッパで、62,088、アメリカに、28,299と、総計9万人余となっていて、現在のIGM(第2種会員を含めて)の8倍弱の教勢を有していた。

   4.  ある人によると、ウエスレーの心にあったメソジストの組織は、英国の「メソジスト・コネクション」において実現されたのではなく、むしろ、アメリカにおいて、フランシス・アズベリーの許に展開されていった「メソジスト監督教会」において見られるという。それゆえ、新大陸におけるアズベリーの奉仕の初期から50年くらい後のことを学んでみて、その年代にアメリカ「メソジスト監督教会」に何が起こっていたかを学ぶことも興味深い。
     a. アズベリーのアメリカ大陸に向けての出帆は、1771年9月で、50日の航海の後、ブリッストルに着いている。その頃、アズベリーは「私は何処に向かっているのか。新大陸へだ。何をする為に。名誉を求めてか。私が自分の心を知っているとすれば、否である。財を築くためか。それも否である。私が、神に生きるために、そして、他の人々をそのように生きるよう導くためにである。」と書いている。
     b. 1784年12月、アメリカのメソジストの群れは、バルチモアーにおいて、トーマス・コークを議長として第1回目の総会を開催した。この「クリスマス総会」と呼ばれる総会において、アメリカのメソジストの群れは、正式に英国国 教会と袂を分かって「アメリカ・メソジスト監督教会」を全会一致で発足させた。総会が次にしたことは、フランシス・アズベリーに按手礼を授けたことであった。
     c. アメリカにおけるアズベリーの奉仕開始から50年後、1821年―1834年頃に、アメリカ・メソジズムにどのような事どもが起こりつつあったのであろうか。この年代に先立つ1816年3月、アズベリーはヴァージニア州リッチモンドにおいて、地上での最後の説教をした。そして、3月31日、72年の波乱の生涯を閉じた。メソジストの歴史家ステーブンスは「アズベリーは、ウエスレー、ホッイトフィールド、コークと共にメソジスト運動を代表する偉大な人物である」と評している。
  この時までに彼は、4000人以上の説教者に、按手礼を授けたと記録されている。この頃の会員数はどの規模にまで増大していたのであろうか。1784年「クリスマス総会」時で、約15,000人。1790年には、その4倍の約 60,000人。更に1840年には、メソジストの会員は85万人(856,818人)を越え、人口比にして驚くなかれ、20人に1人の割合となっていた。
     d. しかし、アズベリーの晩年、そして、彼の召天の少し後に、アメリカの「メソジスト監督教会」の辿った道筋は、奴隷問題、監督政体、その他の問題への立場・見解の相違から、色々なグループが独立してゆくという道筋であった。以前のような一致は、最早不可能であった様子である。その原因は何にあったのであろうか。
  現在、IGMと連盟関係にあるウエスレアン教会の前身である「ウエスレアン・メソジスト教会」(The Wesleyan Methodist church)の設立は1834年で、その前後の1792年、1810年、1816年、1830年、1845年と、他にも幾つものグループがメソジスト監督教会を離れ、独立した群れを形成していっている。

   5.  これらの事実は、50年、60年という歳月が如何に多様な変化を作り出してゆき得るかを示している。そして、その多様な変化に上よりの知恵と格別な恵みをもって対応しない限り、群れの一致を維持し続けることは難しくなり、分裂・離脱といった事態が生じることを、過去の歴史は教え、警告している。十字架と復活の福音は一つである。しかし、その宣証における機構・組織、また、方法・手段、更に時代の要請に対する対応の仕方などは、聖書を規範としつつも、多様であり得る。こうした理解を欠き、それに伴った正しい建設的な改変への努力を怠るとき、その多様性を一致の中に保っておくことができなくなり、離脱・分裂の危機に直面することを、過去の歴史は示していないであろうか。

  B. 「21世紀を視野に入れてのIGM」を考えるとき、その基本的な立ち処においては、多様性、すなわち、原点からの逸脱を生み出すことを避けなければならないであろう。

    (1)聖書を神の誤りなき啓示、そして私たちの信仰・実践の規範と頷く信仰、
    (2)聖書が主張する全ききよめの教理のウエスレー的理解と実践、
    (3)更に、聖書が指さす世界宣教へのヴィジョンとその働きへの具体的な参与、などである。

   1. これらの基本が揺らぎ、これらの創群の中心理念で多様化が生じたなら、創設者がいみじくも語っておられたように、IGMは、最早一個の団体として、他の教会・教派と別に存続し続ける神的・道義的理由を失う。  多くの教派・教団において生じたことを見ると、その群れの創設時の基本理念を真っ向から否定するような事態は、滅多に生じていない。問題は「広げた翼」3月号の第1面メッセージに少しく書いたように、掲げられている基本理念を実践することにおいてどれだけ忠実であるかという点にある。クリスチャン、また、教会にとって一番危険なことは、知識としては基本理念を肯定、否、称賛さえし、それでいて実践においてそれを形骸化・空文化するということである。群れにとって生命的なものが、単なるモットーとして繰り返し、語られるのみという事態こそ、最も警戒されなければならない。

   2.  上記基本的な3点に加えて、条例によると監督政体もIGMにとっては不可変の政体とされている。勿論、聖書信仰、きよめの生涯、世界宣教への貢献とは、異なったレベルでの取り組みが必要であろう。
  「監督政体」は確かに聖書に見られるものの、上記3項目のように、聖書が、他の立場を非聖書的とし、それのみを主張しているといった類のものではないからである。それは教会政治に関する他の立場、例えば、長老制、会衆制を主張する人々の立場を排除しない意味で、聖書に教えられている貴重な事柄なのである。条例上、不可変ではあるが、決して論じ合うことのできない聖域ではない。
  監督政体が何を意味するかは、初代総理による「IGMの沿革・歴史」(信徒教養シリーズ:1)の最後の部分「IGMの政治機構」の個所を読むと極めて明瞭である。私たちは「メソジスト(合議)的監督政体」を取っている。この理解に関しては、現総理朝比奈寛師による第40次(1985年)年会・教役者会講演「メソジスト的監督政治」を参考にすると良い。

   3. さて、この点に関してはここで止め、「21世紀を視野に入れての国外宣教」の働きと、より綿密な関係のある群れの中の多様性について、少しく言及させて頂きたい。IGMも創設以来50余年を過ごし、様々な多様化が起こりつつあるように思える。こうした多様化には、許容されなければならないものと、避けなければならないものとが混在している。これらの多様化に正しく対応し、それを一つ群れとして纏めあげてゆく努力、工夫、改革なしには、英米のメソジスト運動をはじめ多くの群れに起こったと同様な離脱・分裂を招かないとは、誰が断言できようか。
  この群れの規模、また、時代的な要因のなさに鑑みて、そういった悲しい事態に直ちに行くことはないように思える。しかし、そうした事態にまで行きつかない迄も、表面的には一致を保っていても、群れの中に、不協和音、不満、無気力などの好ましくないパン種が、徐々に醸成されていく可能性は否定できない。

   4. 国外宣教の働きは、群れの持てるすべての人材的・経済的・方策的資源を結集することを必要としている。それ故、この全世界への福音の宣証という大業に携わろうとするとき、一番問題となるのが、群れのヴィジョンの、また、心と行動における一致なのである。それが揺らぐとき、私たちの群れにとって世界宣教への参与・貢献は不可能となる。心における一致が危うくされるとき、一番影響を受ける分野のひとつが、多くの犠牲を必要とする国外宣教への取り組みなのである。

   5. では、こうした多様化への対応における基本的な姿勢は、どうあるべきであろうか。以下に幾つかのことを示唆したい
    a. どのように多様化してきているのか。多様化への正しい認識・深い理解を生み出すために、人格的な交わりを強化し、お互いの信頼関係の上に立って、それらの事どもを語り、知りあう機会が必要である。どのように多様化しつつあるのか、気づかないままでは対応のしようもなく、対応策・活用策も講じられない。
    b. ある多様性が好ましいものか、好ましいものでないか見分ける弁別力を身につける必要がある。そして、益となる多様性を認めてゆく姿勢を涵養し、好ましくないと判断される多様性をどのようにして克服するのか考究することが必要である。
    c. 群れの発展につながる多様性を認め、受け入れるのみか、それを群れの発展のためにどのようにしたら、生かし、用いることができるかを工夫、努力をする必要がある。
    d. 多様性の上に立った更に大いなる一致を形成する。UNIFORMITY(均一性)の中に小さな一致を見いだそうとする姿勢ではなく、VARIETY(多様性)を包み込んで更に大きな一致を作り出す態度が問われている。すなわち、ウエスレーの説く「カトリック・スピリット」(寛容な精神)を実践するか否かにる。そのためには、ひとりびとりの意見・考えに、先ず耳を傾ける姿勢、建設的な批判を一概に封じ込めない心の余裕の有無が問われる。

   6. 21世紀を視野に入れてのIGMにおける多様化の傾向性。既に、述べたように、その多様化のなかには、好ましい多様化と避けるべき多様化の両方が含まれる。基本的な創群の理念三点に加えて、
    (1)教会建設における伝道者の資質の重要性の自覚と、それに基づく伝道者訓練の重視、
    (2)伝道、更に明言するならば、救霊をもって教会・クリスチャンの第一の使命と把握し、それに専念すべき姿勢の維持、
    (3)クリスチャン生涯におけるメソジスト的恩寵の手段の理解と、それらの遵守の強調、といった諸点における揺らぎがあるとすれば、それは群れの存続・発展にとってゆゆしい事態と考えなければならない。さて、
    a. 歳月の経過、また、群れの規模の拡大に伴って、教役者の年齢に多様化が認められる。それはまた様々な点での多様化を生み出す一因となっている。創群の時と現在とを比較すると、群れを構成する人員の年齢的な幅の広さにおいて、格段の差がある。
    b. 聖書に登場する人物を初めとして、すべての人は時代の産物とは言えないまでも、それぞれが生まれ育ってきた時代の感化・影響の下にある。生まれ育った時代の相違は、思考形式、その表現法、物事の見方、感じ方、その他、多くの点においての相違を、いや応なしに生み出している。
    c. 歳月の経過に伴う教会間の歴史の相違、それは直ちに、例外はあるものの一般的にいって、教財勢の違いを今までになく大きくしている。
    d. 教勢における格差、そして経済力における多様化は、それに伴う子女教育の機会の格差、健康問題への対応、また、老年期への備えにおける多様化を生み出している。一面では、その個人の奉仕の結実と関わりがあるが、それだけで言いつくせない要因もあることを認めざるを得ない。
  こうした課題と厚生局が取り組んではいるものの、なお、課題が解消したといえるレベルとは、なお遠い感を多くの伝道者は抱いている。
    e. 伝道者になるために受ける訓練、準備の過程に多様化が見られる。人材興起という点で、国外宣教局の活動と無関係ではないが、教学局、神学院があって、その責任者が立てられているので、この点は、この講演では敢て取り上げない。「21世紀を視野に入れての神学教育・神学院」について語る必要があろう。
    f. 神学的にIGMと異なった立場のグループへの接し方において、多様性と言うべきか、幅が生じてきていないであろうか。世界の福音派に、神学的な観点からではなく(?)、他の視点から、いわゆるカリスマ・グループに対するより許容的な態度が見られる。このグループの爆発的な勢力拡大、また、それに伴う財力ゆえと思われるが、その影響と考えられるものが、IGMの一部に見られないであろうか。ケジック運動、その他に対しては如何であろうか。
    g. 国外宣教に対する取り組みにおいて、真剣に参与・貢献を考え、犠牲的に取り組んでいる伝道者・教会と、「群れの使命ゆえ、無関心・ノータッチではおられない」といった感覚での参与の仕方と、取り組みの姿勢に幅・多様性が見られないであろうか。

  U.  21世紀を視野に入れての国外宣教局

  A. さて、以上語ったことの基礎の上に立って、今朝の与えられた課題「21世紀を視野に入れての国外宣教局」について語るわけであるが、第1の要点の展開において、未来に目を向け「21世紀を視野に入れて、、、」という視点より、過去に重点をおいて「創設以来50年余を経た、、、」という観点からアプローチした。既に述べたように、未来は過去の延長線上にあるからである。また、第1回目の教役者会において、迎える21世紀の特徴云々は、多分言及されることと予想したからでもある。重複するかも知れないが、簡単に21世紀を展望すると以下のように言えようか。

   1. 迎える21世紀は、インターネットに代表されるような情報化の時代、「情報ハイウエイ」の時代である。しかし、過剰な情報量は、情報の信憑性を見定めることを困難になる。結果として、真実と虚偽、現実と仮想の境界線が見えにくくなって来よう。
   2. それ故、21世紀は、混乱・混迷の時代となる。既に述べたあらゆる分野での多様化は、その傾向性に拍車をかける。次から次へと新しい(けれども結局は古いものの焼き直しの)思想、運動、宗教などが現れては、人々を一時は引きつけ、そして、消えてゆくであろう。
   3. 混迷・混乱は、すでに始まっている道徳的退廃を更に加速する。21世紀は、道徳的退廃の時代でもある。過去の歴史は、一つの文明が成熟期を越え、衰退・没落への道を辿りはじめるとき、必ずそこに見られる現象として、道徳的退廃があることを示している。聖書もまた、終末に向けて、この世の倫理水準に急速な低下が認められることを予言している。
   4. 混迷、道徳的退廃によって特徴づけられた21世紀は、また、緊張の時代となる。冷戦構造は解消したものの、混乱・退廃は人々を狂気に導きうる。ある人々は混迷・不透明さに耐え切れないで、理性に基づく行動を捨てて衝動的な行為に走り、危機を招きかねない。何時、何処で、何が生じても不思議ではない時代となろう。そして、そのことの意識は、更なる緊張感、そして、その悪循環を生み出す。

  B. 宣教・伝道の働きは、パウロが遺言的に語ったように「時が良くても悪くても」推進してゆかなければならない。そこで、こうした時代的な傾向の中での国外宣教の働き、また、それを支える国外宣教局の活動は、どのようになってゆくのであろうか。とみに「21世紀を視野に入れてのIGM」がどうなってゆくかに依存しているが、主からの恵みの注ぎと指導者たちの知恵ある対応によって、内的にも組織的にも強固な一致が堅持され続けるものとして、敢て目指すところを披歴するならば、以下のような点を述べることができよう。

   1. 主は、IGMの宣教活動を導くにあたって、摂理的に、世界の各地にその第一の働き場を備えてくださった。当初、インド宣教のみを目指していたIGMを、その門戸を閉じることによって、世界の五大陸の四つ==アジア、アフリカ、南アメリカ、オセニア==へとその拠点を設けるよう導かれたことの意義は大きい。手つかずの大陸はヨーロッパのみである。これからのIGMによる世界宣教の計画は、この事実を踏まえた上で立案すべきであろう。与えられた拠点を確保し続け、更に将来に向けて、その拠点から第二の拠点へと働きの展開を計画することが順当な方策と考える。
   2. 既に与えられているパートナーシップを堅持する。すなわち、ウエスレアン・ミッション(教会)、WGMとの連盟関係を大切にして、世界宣教の働きに参与してゆく。近年、摂理的に、宣教におけるパートナーシップが、テイーム(台湾において)、JCF(香港において)へと広がっているが、友好関係の基本はあくまで、同じウエスレアン神学に立つ団体との連盟・友好関係にある。
   3. それと共に「何時・何処から」という点は、未だ不詳であるが、宣教の働きを真に推し進めてゆくためには、IGMとしての独自の働き場を持つことの意義は大きい。また、そうする時、台湾のケースに見るように、その困難、犠牲、直面する問題も、当然大きくなる。
   4.  考慮すべき最大の点は、国内伝道と同様、献身者の興起、人材の確保に関する問題であろう。その点に関しては、以下のように考える。
    a. 21世紀を視野に入れて、もう一度、群れの創設のヴィジョンを確認する必要がある。すなわち、「聖宣」が単なるモットー、スローガンではなく、私たちの群れの存在理由であることを確認する。それを見失うことは、一つの群れとしての独自に存続する意義を失う。
    b. 国内に於ける伝道者の必要は、なお増大する。創設以来50年以上を経た今、しかも、開拓に次ぐ開拓に従事してきたこの群れであれば、その諸教会の継続のための奉仕者の必要に直面することは、当然予期されることである。国内での必要を弁えつつ、なお、創群の使命に従って国外宣教の働きを継続・拡大するためには、犠牲的な宣教への参与が必要とされる。国内の必要があっても、なお、ヴィジョンと使命にしたがって、ある人数を国外に派遣し続けるという確固たる方針を、国外宣教局としてではなく、総理の指導のもとに、教団全体として打ち出す必要がある。
    c. 18世紀末以来の近代宣教の実践においてみられた、主からの個人的な召命に基づく宣教参与強調の時代から、教会として、そのヴィジョンと宣教方策に基づく働き人の配置・派遣の時代へと移行する必要がある(勿論、依然として個人的な召命も、教会が方策を立て、それを実践に移すにあたっての考慮の大切な一要因とはなろうが、、、)。
    d. 具体化のためには越えるべきハードルが高いが、国外にあって奉仕する宣教師と、国内にあって労する伝道者といった、教役者の二元化を解消し、国内外の働き人の一層自由な(勿論、任命に従っての)入れ替えを行う体制を整える必要がある。人材の入れ替えにあたって、語学力、異文化への順応性、健康問題、子女教育の実際、、、と考慮すべき諸点があることは言を待たない。
   5. 更に具体的に、国外宣教局、また、教団全体として、取り組むべき課題としては、以下の事どもがある。
    a. 宣教師たちが後顧の憂いなく宣教活動に携わることができるために、その基地とも言うべき、宣教師館の取得・建設の必要は差し迫ってきている。帰国時の宣教師子女の安定した教育環境のためにも、このことは早急に解決しなければならない。
    b. 宣教師候補の訓練をいかにするかとの問題と取り組まなければならない。既に言及した多様化に鑑みて、従来のような、聖宣神学院のみを献身の道を追求するに際しての唯一の道とは考えなくなってきている若者たちを、この群れの以外の場での奉仕へ追いやるべきか。それとも多様化に対応して、彼らを私たちの働き人として取り込むために、彼らに訓練を与える場を設けるべきか。
    c. WGMを初めとする先輩の諸宣教団体に倣って、アドミニストレーション(管理部門)とは別の、宣教師のための牧師の務めを果たす人材の興起を促す。宣教師たちが長続きする宣教活動に従事するためには、宣教師の霊的・実際的な課題と、群れとして積極的に取り組み、対応する姿勢が必要とされている。
    d. 任命に関わることであるが、国外宣教局員を適時に入れ替えて、更に広い範囲のIGM教役者に、国外宣教の働きの何たるかをより具体的に弁えて頂くことができる体制へと持ってゆくことが必要かもしれない。
    e. 宣教活動が広がりを増すとともに、それを背後で支える体制を一層強化しなければならないのは当然である。例えば、国外宣教局の機関誌「広げた翼」が広く活用されているが、その継続発行のために、更に多くの奉仕者を見いださなければならないと考える。

  6. 帰国時の宣教師の住居問題を初めとして、これらすべてに経済問題が絡んでくる。今後とも国外宣教を力強く推進し、そのために必要な事どもを整備してゆくための財源は、国内の諸教会・IGM所属のクリスチャンたちが担う以外、何処にも見いだされない。勿論、単に人間的な観点からそう言うのではなく、全ての源泉に創造主なる神ご自身がおられ、そのみこころを遂行するための恵みの管としてのIGM教会・クリスチャンであることを自覚しての上である。それ故、「21世紀を視野に入れての国外宣教局」の在り方、また、今後の活動は、昨日語られた「21世紀を視野に入れての国内宣教局」、そして、その指導のもとに国外宣教の母体である国内教会の建設に従事するお互いが、21世紀に向けてどのようになってゆくかに掛かっている。

  結 語:

  「神のために大いなることを計画し、神に大いなることを期待せよ。」とは、近代宣教の父といわれたウイリアム・カーレイのことばである。この挑戦に満ちたことばが発せられてから、200年余りが過ぎた。しかし、このことばには、決して失われることがない新鮮さがある。「神のために計画し、神に期待する」ことは、国外宣教に関する私たちの姿勢であるばかりか、信仰の姿勢そのものである。それを見失うことは、神への信仰そのものの喪失が意味されている。最早、国外宣教どころではない。それは、霊的ないのちそのものの枯渇を意味する。
  肉体のいのちであれ、霊的ないのちであれ、いのちそのものは見えないし、これと言って、示すことはできない。そのいのちの現れによってのみ、いのちの存在、また、様相を知るのである。その意味で群れの国外宣教と取り組む姿勢は、その群れのいのちのレベルのバロメーターと言えよう。「年齢に伴う衰えは、先ず足から始まる。」 肉体的ないのちにとっては、年齢に伴う衰えは不可避である。しかし、一つの運動、群れの霊的ないのちにとっては、衰退は必ずしも不可避ではない。
  その秘訣は、あの最初の復活の日の夕刻、ユダヤ人を恐れていた弟子たちに現れ、「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:19〜23)と語られた主イエスに、また、そのみことばにある。御父による御子の派遣は、完了形によって語られており、御父の派遣が過去の出来事であるとともに、その派遣の意義がなお継続していることを示している。また、御子による弟子たちの派遣は、現在形で語られていて、主イエスの弟子たち、すなわち、教会の派遣が、常住的・継続的な派遣であることを示している。
  この派遣に応じることによってのみ、私たちは主の弟子としての立場を堅持することができる。主イエスは更に「聖霊を受けなさい。」とも語られた。「聖霊を受けよ。」という命令は、単に来たるべきペンテコステを指さすものではなく、その時の十全な御霊の注ぎに先立つ、ある実質的な御霊の付与があったと多くの註解者は理解している。ある註解者は、それを「ペンテコステにおける御霊の贈り物」とは異なる「過越における御霊の贈り物」として区別している。いづれにしても、主イエスによる平安の約束、主イエスによる派遣の自覚、また、主イエスによる聖霊の付与こそが、いつの時代においても 、国内外を問わず、宣教の成否の鍵である。
  21世紀に向けてのIGMの国外宣教の働きが縮小に向かうことなく、拡大し続け、それによって群れのいのちが躍動し、満ち溢れていることが証されることを祈り願って、この講演を締めくくりたい。
 

■  神学小論文−そのW:伝道職の権威:「どこから、あなたはその権威を得ましたか」

■  神学小論文−そのX:「キリストの使節としての務めに任じられて」

■  神学小論文−そのY:「教職と信徒」

■  神学小論文−そのZ:「私たちの教会―教会論:その制度面から」

■  神学小論文−その[:「再び、教会の権威を巡って」

■  神学小論文−その\:「監督政体の理解」

■  神学小論文−その]:「監督政体について」

■  神学小論文−その]T:「祝祷について」

.                                   聖書の写本:日本聖書協会・前総主事の佐藤氏の提供


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