「宣教師としての召命」
質問に応えて


  今回は、宣教に重荷と関心を持っておられるある兄弟の質問への、メールでの返答をそのまま転載することにしました。他にも、同様な疑問を心に抱いている若い兄弟姉妹方が各地におられると考えてのことです。以下が、そのメールの内容です。

  「さて、宣教師の召命に関する私の理解・把握ですが、少なくとも、次のような3つのステップを経て、現在の理解に到っています。

  ステップー1:伝道者としての召命を自覚して、聖宣神学院へ入ろうとしていた頃の理解

  その頃は(2年間の信徒時代を通じ)、日本での伝道の必要に心が捉えられていて、国外宣教・世界宣教は、全く私の視野にはありませんでした。ある大学で土木工学を専攻していましたが、信徒として、技術者としての自分の将来しか心にありませんでした。しかし、信仰生活2年にして、伝道職への召命を自覚して、学び・訓練のために、神学院入学を願うようになりました。インマヌエル聖宣神学院の入試・面接のおり、初代総理であり、院長でもあられた蔦田二雄師から『国外でもいいですね』と質問を受け、『ハイ』とお答えしたものの、自分の答えにはなっていない『ハイ』でした。『ハイ』と答えないとBTCへの入学そのものを拒否されないかと恐れての『ハイ』でしたから、、、。宣教師として国外に赴くことなど、実際、考えたこともなかったのです。

  ステップー2:聖宣神学院・神学生とインドへの宣教留学生の時代。

  神学院での生活・授業を通しIGMの『聖宣』という使命を打ち込まれ、徐々に海外宣教に目覚めた時代です。インマヌエルの群は当時、創設から15年経ち、「倍加運動」、「全県攻略」などのモットーを掲げて、国内での目覚しい伝道の展開に当たるとともに、国外の働きへとその翼を広げてゆこうという時期でした。神学生の頃、しばしば、インドからアメリカの宣教師が訪れて来られ、チャペルで宣教への挑戦を投げかけておられてことを、昨日のことのように想い起こします。チャペルや授業もさることながら、BTC図書館で宣教師の伝記を読み漁り、自分の心のうちに宣教師のイメージを造上げていった時代でした。その頃の私の国外宣教への召命の理解は、従来からのものと言えます。すなわち、W・カーレーはインドへ、H・テーラーは中国へ、A・ジャドソンはビルマへ、、、といったもので、宣教師の召命といえば「ある特定地域へ」の召しと考えていました。宣教師の召命とある地域・国を切り離すことはできませんでした。
  そして、私はインドへの重荷と関心をもっていましたので、私の召命の地は『インド』と考えていたのです。しかも、卒業後、思いもしない方法で、宣教留学生としてインドに派遣されるに及んで、その確信は益々強くなってゆきました。

  ステップー3:ジャマイカでの宣教師の時代、そして、現在に至るまで。

インドでの2年間の宣教留学を終えて帰国し、今度は留学生としてではなく、インドへ宣教師としてのビザを申請しました。ヴィザが交付されれば、ウエスレアン・ミッションの下、中央インドで村落伝道に従事する計画でした。しかし、それが拒絶に遭い、改めて宣教師の召命の問題と取り組まざるを得なくなりました。インドへのビザ拒否の結果、インドへ召されている、と言う自覚は崩れ去って、他の開かれた道、カリブ海域ジャマイカへと赴くことになったのでしたから、、、。
  『インドが、主からの私の召命の地であるなら、何故、インドへの門戸は開かれなかったのか、、、何故、何故』。しかも、私だけではなく、当時、他のIGMの宣教師候補にも同様にヴィザが交付されないというケースが生じていました。
  さて、ジャマイカでの宣教師時代に達した理解は、以下のようなものです。現在の理解も同様です。

     @  聖書に見る主からの『召命』は、福音を宣べ伝えるという働き・使命に関するもので(使徒26:16〜18他)、それは福音の性質上、全世界、否、むしろ全人類のためのものであること。この主からの召命は不変であること。「、、、わたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」(使徒の働き9:15)
     A  主は、上記のような宣教師としての福音を宣証するという働き・使命への召命とともに、私たちを、その時その時の必要に従って、ある特定の地域・国・民族への重荷を与えになり、そして、ある地域・国へと『導き』、また、遣わされること。全世界が私の召命の地であるがゆえに、ある特定の地へ導かれたとき、そこを自分の働き場として受け入れることが出来ること。ある地域で使命を果たすようにと言う主の導きは、状況に応じて変わりうること。「わたしが召した『任務に』、、、」、「ふたりは聖霊に遣わされて、、、」(使徒の働き13:2、4)
     B  過去の偉大な宣教師たちの『召命』の理解は、その時代の状況を反映したもので、現在のようなグローバルな時代ではない時代であるゆえに、地域性が目立っていること。イギリスと中国の往復に数カ月を要した時代でした。様々な地域に行くことは、当時の交通事情に鑑みて、実際上困難でした。
     C  この何処へということに関する『導き』は、パウロを例にとると、以下のような、さまざまな方法で、私たちの自覚となってゆくように考えました。

        ・ 教会全体としての世界宣教の戦略として:パウロはローマを目指し、小アジアの都市伝道に重荷を持っていた。「私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝え、、、」ローマ15:19以下。
        ・ グループ全体としての状況判断に基づいて:使徒16:10『私たちは、、、確信した。』
        ・ 摂理的な状況の展開の結果として:パウロ一行のガラテヤ伝道。「ご承知のとおり、私が最初にあなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。」ガラテヤ4:13。
        ・ 個人的な強い自覚によって:パウロのエルサレム行き。「彼が聞き入れようとしないので、私たちは、『主のみこころのままに』と言って、黙ってしまった。」使徒 21:12〜14。

  この特定の一つの導きの形態のみに固執することは、バランスを崩すことになり、健全な歩みではなくなる危険性があります。
  更に、いろいろな宣教師の伝記を学んで行くうちに、私の現在の理解と同様な理解を持って、その働き場を、インド、中国、そして、最後にはアフリカと展開していった宣教師が、かなり早い時代にも存在したことに気づき、今は、これで納得しています。従来からの理解での「宣教師としての召命」とは、いわゆる「伝道職への召命」プラス「特定の地域への導き」とが一体となった自覚であると言う理解を持って、今、主の導きが、日本での働きにあることを頷いて、日本での伝道・教会建設に従事できるのだと思います。前者は、不変であろうと思いますが、後者は、情況に応じて変わることがあるというのが、二つを分けて考える理由です。

  この理解に達するまでの経緯、また、私の証しが、どなたかにとって、ご自分の問題と取り組むに当たっての助けとなれば幸いです。
 

■  神学小論文:「21世紀に踏み込んでの国外宣教局」

■  神学小論文:「21世紀に向けての   」

■  神学小論文:「IWFとわたし」

■  神学小論文−そのY:「教職と信徒」

■  神学小論文−そのZ:「私たちの教会―教会論:その制度面から」

■  神学小論文−その[:「再び、教会の権威を巡って」

■  神学小論文−その\:「監督政体の理解」

■  神学小論文−その]:「監督政体について」

■  神学小論文−その]T:「祝祷について」

.                                   聖書の写本:日本聖書協会・前総主事の佐藤氏の提供


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