このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「水路のそばに植わった木のようだ」 詩篇1:1〜6B
■ 井戸を掘りましょう:
私たちの人生において、最も大切なことは、目に見えるところにあるのではなく、目に見えない「根」の部分にあります。「幸いなことよ」と言われる人々の根は、水路へと伸びていて、そこから豊かな水の供給を受けいています。ここにこそ、彼らの生涯の繁栄の秘密があるのです。
このような人々は、「時が来ると」実を実らせ、「その葉は枯れ」ません。「その人は何をしても栄える」のです。結実と活力、そして、祝福がそのような人々の特徴です。
一見、青々と茂って活力があるように見える人々がいますが、人生には多雨の時期ばかりでなく、旱魃もあります。そのような水の少なくなった時に、水路をそばに持たない木は、やがて枯れてゆくのです。見せ掛けの繁栄は、長続きしません。
見えない部分で、水路へとしっかり根を伸ばしておくことが大切なのです。
私たちの信仰の営みにおいて、集会出席や奉仕は目に見える部分です。目に見えない部分とは、私たちのデヴォーションの営みであるといえましょう。個人的に主でる神の御前に出て、生ける神と交わる心の営み、これこそが私たちの目に見える部分、特に、奉仕を支えるものなのです。
そのような神の御前における営みなしに奉仕を継続しようとしますと、いづれは疲れを覚えて、挫折を来たすようになります。しかし、神の御前に出て神と交わるデヴォーションが、その人のものになった奉仕者は、肉体的に疲れることはあっても、精神的な疲れを経験することがありません。いつも内的な活力に満ちていて、奉仕への力を見出すことができます。このような人は、主のために、その働きのために、整えられた人々なのです。