. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第4講
■ 今日の「井戸掘り」

    「風が吹き飛ばすもみがらのようだ」              詩篇1:1〜6C 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   神を畏れ敬って、悪から遠ざかって生きる生きる人々が「水路のそばに植わった木」に譬えられ、それに対して、そうでない人々、すなわち「悪者」は「風が吹き飛ばすもみがら」に譬えられています。彼らの人生は、そのような軽いものです。

   勿論、ここでの強調点は、軽いということより、外側の殻のみで、実のない様、すなわち、形だけで実質のないことでしょう。実質がないので、そのような人々は「さばきの中に立ちおおせず」、「正しい者の集いに立てない」のです。

   正しい者は、「時が来ると実」を結びますが、悪者は、何時まで待っても、実を結ぶことはありません。それで彼らは「風が吹き飛ばすもみがら」に譬えられるのです。空しい生き方、結実のない人生、これが神を畏れ敬うことを忘れて、悪の道に走った人々の生涯の特徴です。

   人生における結実は、その人の真摯な努力とともに、生きた神の祝福によって可能となります。神の祝福がないと、人間的な努力は、単に空しい努力でしかなくなってしまいます。

   預言者ハガイは、次のように言っています。「今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えてみよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも穴のあいた袋に入れるだけだ」(ハガイ1:5、6)。

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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